・・・ 五 宿場の場庭へ、母親に手を曳かれた男の子が指を銜えて這入って来た。「お母ア、馬々。」「ああ、馬々。」男の子は母親から手を振り切ると、厩の方へ馳けて来た。そうして二間ほど離れた場庭の中から馬を見ながら、・・・ 横光利一 「蠅」
・・・が、彼が戦えば戦うほど、彼が医者を変えれば変えるほど、医者の死の宣告は事実と一緒に明克の度を加えた。彼は萎れてしまった。彼は疲れてしまった。彼は手を放したまま呆然たる蔵のように、虚無の中へ坐り込んだ。そうして、今は、二人は二人を引き裂く死の・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・それは紅色としては感じられないが、しかし白色に適度の柔らかみ、暖かみを加えているのであろう。われわれが白い蓮の花を思い浮かべるとき、そこに出てくるのはこういう白色の花弁であって、真に純白の花弁なのではあるまい。そう私は感ぜざるを得なかった。・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫