・・・この最後の努力でわずかに残った気力が尽き果てたか、見る見るからだの力が抜けて行って、くず折れるようにぐったりと横倒しに倒れてしまう。一方ではまた、何事とも知れぬ極度の恐怖に襲われて、氷塊の間の潮水をもぐって泳ぎ回る可憐な子熊もやがて繩の輪に・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・男の背中には五六歳ぐらいの男の子が、さもくたびれ果てたような格好でぐったりとして眠っていた。雨も降らぬのに足駄をはいている、その足音が人通りのまれな舗道に高く寒そうに響いて行くのであった。 しばらく行き過ぎてから、あれは電車切符をやれば・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・瞽女は危ふげな手の運びようをして撥を絃へ挿んで三味線を側へ置いてぐったりとする。耳にばかり手頼る彼等の癖として俯向き加減にして凝然とする。そうかと思うとランプを仰いで見る。死んだ網膜にも灯の光がほっかりと感ずるらしい。一人の瞽女が立ったと思・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 早速それを叩いたり引っぱったりして、丁度自分の足に合うようにこしらえ直し、にたにた笑いながら足にはめ、その晩一ばん中歩きまわり、暁方になってから、ぐったり疲れて自分の家に帰りました。そして睡りました。 *・・・ 宮沢賢治 「蛙のゴム靴」
・・・ ほんとうに暑くなって、ねむの木もまるで夏のようにぐったり見えましたし、空もまるで底なしの淵のようになりました。 そのころだれかが、「あ、生け州ぶっこわすとこだぞ。」と叫びました。見ると一人の変に鼻のとがった、洋服を着てわらじを・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・ そしてあの姉弟はもうつかれてめいめいぐったり席によりかかって睡っていました。さっきのあのはだしだった足にはいつか白い柔らかな靴をはいていたのです。 ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光の川の岸を進みました。向うの方の窓を見ると、・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・ 気づかれのした彼女は、ぐったり腕椅子に靠れ込み、髪をなおしながら、余り快活でなく呟いた。「さあ。――少し疑問よ」 同じように不活溌な千代の手にやや悩まされながら二日目の朝食がすむと、さほ子は、三畳の彼女の部屋に行って見た。・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・々の肉類、玉葱のいい加減にきざんだもの、それを皆一緒に豚油をとかしたものでいため、だしを入れて塩と砂糖、醤油で好みに味をつけ、下すすぐ前にサラダ菜をむしって洗っておいたものをほどよく手でちぎって入れ、ぐったりしたところですぐ下します。好みに・・・ 宮本百合子 「十八番料理集」
・・・ コスモスの花瓶にホンのすこしアスピリンをいれました。ぐったりしたから。利くかしら? もとスウィートピーにアスピリンをやったら、すっかり花が上を向いて紙細工のようになってうんざりしたことがあった。 この頃の小説の題は皆一凝りも二凝り・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 少いときでも、ぐったり首垂れた鳩や山鳥が瞼を白く瞑っていた。父が猟に出かける日の前夜は、定って母は父に小言をいった。「もう殺生だけはやめて下さいよ。この子が生れたら、おやめになると、あれほど固く仰言ったのに、それにまた――」 ・・・ 横光利一 「洋灯」
出典:青空文庫