・・・高山が出た時代からぐっと風潮が変わってきた。上田敏君もこの期に属している。この期にはなかなかやり手がたくさんいる。僕らはそのまえのいわゆる沈滞時代に属するのだ。 学校を出てから、伊予の松山の中学の教師にしばらく行った。あの『坊っちゃん』・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・ 彼は手紙の終りにある住所と名前を見ながら、茶碗に注いであった酒をぐっと一息に呻った。「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも打ち壊して見てえなあ」と怒鳴った。「へべれけになって暴れられて堪るもんですか、子供たちをどうしま・・・ 葉山嘉樹 「セメント樽の中の手紙」
・・・と一郎のおじいさんがくぐりのところに立って、ぐっと空を見ています。一郎は急いで井戸からバケツに水を一ぱいくんで台所をぐんぐんふきました。 それから金だらいを出して顔をぶるぶる洗うと、戸棚から冷たいごはんと味噌をだして、まるで夢中でざくざ・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・ブドリがその小さなきたない手帳を出したとき、クーボー大博士は大きなあくびをやりながら、かがんで目をぐっと手帳につけるようにしましたので、手帳はあぶなく大博士に吸い込まれそうになりました。 ところが大博士は、うまそうにこくっと一つ息をして・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・ 一太はぐっとつまって、「だって女だい!」と力んだ。「男だよ。子ってのが女だよ、活動だって、ナミ子が女でタケオが男だよ、やーい見ろ、一ちゃん学校へ行かないから知らないんだ」 一太は憤慨して涙が出そうになった。学校へ行かな・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・破滅的現象は街にも家庭にもあふれ出ているのに、若い眼も心も崩壊の膿汁にふれていながら、事実は事実として見て、生活でぐっとそれによごされず突破してゆくような生活意欲はつちかわれていない。若さは無意識のうちにこんにちの姑息ないいくるめや偽善をも・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
・・・』 アウシュコルンは驚惶の体で、コーンヤックの小さな杯をぐっとのみ干して立ちあがった。長座した後の第一歩はいつもながら格別に難渋なので、今朝よりも一きわ悪しざまに前にかがみ、『わしはここにいるよ、わしはここにいるよ。』と繰り返し・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・ 花房は佐藤にガアゼを持って来させて、両手の拇指を厚く巻いて、それを口に挿し入れて、下顎を左右二箇所で押えたと思うと、後部を下へぐっと押し下げた。手を緩めると、顎は見事に嵌まってしまった。 二十の涎繰りは、今まで腮を押えていた手拭で・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・綾小路は生温い香茶をぐっと飲んで、決然と言い放った。 秀麿は顔を蹙めた。「それは僕も言わずにいる。しかし君は画だけかいて、言わずにいられようが、僕は言う為めに学問をしたのだ。考えずには無論いられない。考えてそれを真直ぐに言わずにいるには・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ 負け傾いて来ている大斜面を、再びぐっと刎ね起き返すある一つの見えない力、というものが、もしあるのなら誰しも欲しかった。しかし、そういう物の一つも見えない水平線の彼方に、ぽっと射し露われて来た一縷の光線に似たうす光が、あるいはそれかとも・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫