・・・そして馬の鼻をぐんと手綱でしごいてまた歩き出した。暗らくなった谷を距てて少し此方よりも高い位の平地に、忘れたように間をおいてともされた市街地のかすかな灯影は、人気のない所よりもかえって自然を淋しく見せた。彼れはその灯を見るともう一種のおびえ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・と、それまでむっと黙っていた彼女は、疳高い早口の声で、「こんど店へ来はったら、一ぺん一緒に寝まひょな」とぐんと肩を押しながら赧い顔もせずに言った。心斎橋筋まで来て別れたが、器用に人ごみの中をかきわけて行くマダムのむっちり肉のついた裸の背・・・ 織田作之助 「世相」
・・・それでも、外套の肩を張りぐんぐんと大股つかって銀杏の並木にはさまれたひろい砂利道を歩きながら、空腹のためだ、と答えたのである。二十九番教室の地下に、大食堂がある。われは、そこへと歩をすすめた。 空腹の大学生たちは、地下室の大食堂からあふ・・・ 太宰治 「逆行」
・・・折りかさなって岩からてんらく、ざぶと浪をかぶって、はじめ引き寄せ、一瞬後は、お互いぐんと相手を蹴飛ばし、たちまち離れて、謂わば蚊よりも弱い声、『海野さあん。』私の名ではなかった。十年まえの師走、ちょうどいまごろの季節の出来ごとです。 ―・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 助七に、ぐんと背中を押され、青年は、よろめき、何かあたたかい人間の真情をその背中に感じ、そのままふらふら歩いて、一人で劇場の裏にまわっていった。生れてはじめて見る楽屋。 ☆ 高野さちよは、そのひとつきほ・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・大づかみに、ぐんと人生を掴まず視点が揺れ、作家としての心が弱すぎた。為に、あれ丈文化的価値を裏に持った素材が、明かにこなされ切れなかった。 時に、彼の精神の或面に、私が、物足りなさによる侮蔑に近いものを感じたのは争われない。何か、この先・・・ 宮本百合子 「有島武郎の死によせて」
・・・ 俺の呪いで植えつけられた慾の皮も火の熱気には叶わないか。算を乱して駆け出したぞ。ヴィンダー 活溌な火気奴! 活動をつづけろ。何より俺の頼もしい配下だ。飛べ、飛べ! ぐんと飛んで焼き払え。祖先の時柄にも似合わず、プラミシュースに盗ませた・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・そう云いながらぐんとつきのけた。その感じからはつがきらいになったほど、荒っぽくつきのけた。 このはつは、ある朝いきなり北海道からうちへ来た。そして、富樫とひどい喧嘩をした。紫の紋羽二重の羽織に丸髷で、母のところへ挨拶につれて来られても、・・・ 宮本百合子 「道灌山」
出典:青空文庫