・・・と云い合いて、別れ別れに一方は大路へ、一方は小路へ、姿を下駄音と共に消すのも、満更厭な気ばかり起させる訳でもない。 私も嘗て、本郷なる何某と云うレストランに、久米とマンハッタン・カクテルに酔いて、その生活の放漫なるを非難したる事ありしが・・・ 芥川竜之介 「久米正雄」
・・・ 老人はこう言ったと思うと、今度もまた人ごみの中へ、掻き消すように隠れてしまいました。 杜子春はその翌日から、忽ち天下第一の大金持に返りました。と同時に相変らず、仕放題な贅沢をし始めました。庭に咲いている牡丹の花、その中に眠っている・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・ 傘をがさりと掛けて、提灯をふっと消す、と蝋燭の匂が立って、家中仏壇の薫がした。「呀! 世話場だね、どうなすった、父さん。お祖母は、何処へ。」 で、父が一伍一什を話すと――「立替えましょう、可惜ものを。七貫や八貫で手離すには・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ある時村のものが、貉を生取って来て殺したそうだが、丁度その日から、寺の諸所へ、火が燃え上るので、住職も非常に困って檀家を狩集めて見張となると、見ている前で、障子がめらめらと、燃える、ひゃあ、と飛ついて消す間に、梁へ炎が絡む、ソレ、と云う内羽・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・内侍所に召されて、禄おもきものにて候にと申したりければ、とても人数なれば、ただ舞わせよと仰せ下されければ、静が舞いたりけるに、しんむしょうの曲という白拍子を、―― 燈を消すと、あたりがかえって朦朧と、薄く鼠色に仄めく向うに、石の反橋・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・拝する無かるべし 宝珠是れ長く埋没すべけん 夜々精光斗牛を射る 雛衣満袖啼痕血痕に和す 冥途敢て忘れん阿郎の恩を 宝刀を掣将つて非命を嗟す 霊珠を弾了して宿冤を報ず 幾幅の羅裙都て蝶に化す 一牀繍被籠鴛を尚ふ 庚申山下無情の・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・名字あつて 当年未了の因を補ひ得たり 犬川荘助忠胆義肝匹儔稀なり 誰か知らん奴隷それ名流なるを 蕩郎枉げて贈る同心の結 嬌客俄に怨首讎となる 刀下冤を呑んで空しく死を待つ 獄中の計愁を消すべき無し 法場若し諸人の救ひを欠かば・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・はたして、使用して見ると、その日だけは、ありの姿を消すが、あくる日になると、依然として、彼等は、木を上ったり、下ったりしているばかりでなく、竹の葉先などには、昨日よりも多くの白い油虫がついているのを認めたのでした。 あるいは、草木に・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・人の力を以て過去の事実を消すことの出来ない限り、人は到底運命の力より脱るゝことは出来ないでしょう。」 自分は握手して、黙礼して、此不幸なる青年紳士と別れた、日は既に落ちて余光華かに夕の雲を染め、顧れば我運命論者は淋しき砂山の頂に立って沖・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・否さまでならず、ただ去年のものにはすこしく優れりとうち消すようにいうは老婦なり。俳優のうちに久米五郎とて稀なる美男まじれりちょう噂島の娘らが間に高しとききぬ、いかにと若者姉妹に向かっていえば二人は顔赤らめ、老婦は大声に笑いぬ。源叔父は櫓こぎ・・・ 国木田独歩 「源おじ」
出典:青空文庫