・・・ ――俺たちは、被告だが死刑囚じゃない、俺たちの刑の最大限度は二ヶ年だ。それもまだ決定されているんじゃない。よしんば死刑になるかも分らない犯罪にしても、判決の下るまでは、天災を口実として死刑にすることは、はなはだ以て怪しからん。――・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・警視庁がこれに対して、十二時間を限度とする警告を発したのは遠いことではなかった。母性保護の見地から婦人労働者の入坑を禁じた鉱山労働へ、女は石炭に呼ばれ、再び逆戻りしかけている。幼年労働の無良心な利用も問題とされているのである。 婦人が性・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・ただ従来、そのひとの程度というとき、個人的な限度で、各人の天質とか仁とかいう範囲でだけ内容づけられていたものを、もっと社会的な複雑な要因の綯いまぜられたものの動きとして感じているから、そういう実質でかりに我々の程度というときには、個人に及ぼ・・・ 宮本百合子 「異性の間の友情」
・・・の芸術的限度がそこに止っているのである。「脱出の映画」の第一の作品としてこの映画を紹介されて見ると、私たちには「脱出」の本質的な内容に対する疑問が益々深まって来る。この映画の語る範囲では現在ファシストの国で云われている「脱出」が本質に於・・・ 宮本百合子 「イタリー芸術に在る一つの問題」
・・・昔のドミトリーの生活のそれが最大限度であった。家庭がドミトリーの慰安所であった。 ところが、革命が起った。ドミトリーの生涯は新しく、闘争と餓えとの間から萌え出した。プロレタリアート全戦列の前進とともに。 グラフィーラの生活は、ドミト・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・経済の困難が一定の限度をこえるとその家の妻、母である女性がいつも先ず第一に自身を飢えさせて来た。今日一般に主婦の面している困難には米の量のやりくりについてもそれにやや似た現象が到るところにある。外で食べる人々についての調査の半面に、家庭にい・・・ 宮本百合子 「「うどんくい」」
・・・その後、一二度ためして見て疲労の一定の限度までは、音は正しく聴かれ、音楽として味わうことができるが、疲れがそれ以上になると、少くとも私は音楽に無反応に陥るらしいのである。 この音楽的音についての自身の経験は前にいった色彩の感覚と疲労との・・・ 宮本百合子 「芸術が必要とする科学」
・・・ この前の手紙で申し上たような有様、更に現実はあれより複雑故、一番広い視野で先を見通すものが、こういう中では疲れ、そしてあるところでそのものとしての限度を見出し、それ以上の力こぶは入れても事情は改善されぬと見きわめないと徒らな精力を消耗・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・従って彼の描写は簡素の限度だと言う事もできる。 ストリンドベルヒの頭は恐ろしくよい。ゾラの頭はきわめて平凡である。五 告白の欲望はともすれば直ちに製作衝動と間違えられる。もとより体験の告白を地盤としない製作は無意義である・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・手先の働きには限度がある。そこでこの限度内において人形を動かすためには、不必要な動作、意味の少ない動作は切り捨てるほかはない。そうすれば人の動作にとって本質的な契機のみが残されてくることになる。ここに能の動作との著しい対照が起こって来るゆえ・・・ 和辻哲郎 「文楽座の人形芝居」
出典:青空文庫