・・・果して自分が他に比すれば馬鹿に大きな板を二枚持っていたので、人々に哄笑された。自分も一顆の球を取って人々の為すがごとくにした。球は野蒜であった。焼味噌の塩味香気と合したその辛味臭気は酒を下すにちょっとおもしろいおかしみがあった。 真鍮刀・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・『夢想兵衛胡蝶物語』などは、その主人公こそは当時の人ですが、これはまたその描いてある世界がすべて非現実世界ですから、やはり直接には当時の実社会と交渉がきれて居りますのです。 それで馬琴のその「過去と名のついたレース」を通して読者に種々の・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・いくら新聞では見、ものの本では読んでいても、まさかに自分が、このいまわしい言葉と、眼前直接の交渉を生じようと予想した者は、一個もあるまい。しかも、わたくしは、ほんとうにこの死刑に処せられんとしているのである。 平生わたくしを愛してくれた・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・北村君の書いたものは、論文と云っても皆な自分の生活に交渉の深い、一種の創作であった。殊にサイコロジカルな処が、外の人達と違った特色であると思う。『鬼心非鬼心』という文章は、寺の借住居の附近にあった事を、主にして書いたものだ。それから、麻布霞・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・粋な、やくざなふるまいは、つねに最も高尚な趣味であると信じていました。城下まちの、古い静かな割烹店へ、二度、三度、ごはんを食べに行っているうちに、少年のお洒落の本能はまたもむっくり頭をもたげ、こんどは、それこそ大変なことになりました。芝居で・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・と殊勝らしく、眼を伏せて、おそろしく自己を高尚に装い切ったと信じ込んで、澄ましている風景のなかなかに多く見受けられることである。あさましく、かえって鴎外のほうでまごついて、赤面するにちがいない。勉強いたして居ります。というのは商人の使う言葉・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・その料理屋には、神前挙式場も設備せられてある由で、とにかく、そのほうの交渉はいっさい小坂氏にお任せする事にした。また媒妁人は、大学で私たちに東洋美術史を教え、大隅君の就職の世話などもして下さった瀬川先生がよろしくはないか、という私の口ごもり・・・ 太宰治 「佳日」
・・・びに汝の家庭、汝の村、汝の国、否全世界が救われるであろうと、大見得を切って、救われないのは汝等がわが言に従わないからだとうそぶき、そうして一人のおいらんに、振られて振られて振られとおして、やけになって公娼廃止を叫び、憤然として美男の同志を殴・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・を読み、思わず哄笑した五年まえのおのれを恥じる。厳粛の意味で、医師の瞳の奥をさぐれ! 私営脳病院のトリック。一、この病棟、患者十五名ほどの中、三分の二は、ふつうの人格者だ。他人の財をかすめる者、又、かすめむとする者、ひとりもなか・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・ これはむしろ学究的の詮索に過ぎて、この句の真意には当たらないかもしれないが、こういう種類の考証も何かの参考ぐらいにはなるかもしれないと思って、これだけの事をしるしてみた。もし実際かの地方で、始終伊吹を見ている人たちの教えを受けることが・・・ 寺田寅彦 「伊吹山の句について」
出典:青空文庫