・・・にはやはり父に連れられて高知浦戸湾の入口に臨む種崎の浜に間借りをして出かけた。以前に宅に奉公していた女中の家だったか、あるいはその親類の家だったような気がする。夕方この地方には名物の夕凪の時刻に門内の広い空地の真中へ縁台のようなものを据えて・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・ 高知近傍には寒竹の垣根が多い。隙間なく密生しても活力を失わないという特徴があるために垣根の適当な素材として選ばれたのであろう。あれは何月頃であろうか。とにかくうすら寒い時候に可愛らしい筍をにょきにょきと簇生させる。引抜くと、きゅうっき・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・ 土佐の高知の播磨屋橋のそばを高架電車で通りながら下のほうをのぞくと街路が上下二層にできていて堀川の泥水が遠い底のほうに黒く光って見えた。 四つ辻から二軒目に緑屋と看板のかかったたぶん宿屋と思われる家がある。その狭い入り口から急な階・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・ 高知市附近で「鴫突き」というのは、蜻とんぼを捕えるのと同じ恰好の叉手形の網で、しかもそれよりきわめて大形のを遠くから勢いよく投げかけて、冬田に下りている鴫を飛び立つ瞬間に捕獲する方法である。「突く」というのは投槍のように網を突き飛ばす・・・ 寺田寅彦 「鴫突き」
・・・ そのころ郷里高知では正月の十四日の晩に子供らが「粥釣り」と称して近所の家を回って米やあずきや切り餅をもらって歩いて、それで翌朝十五日の福の粥を作るという古い習慣が行なわれていた。素面ではさすがにぐあいが悪いと見えてみんな道化た仮面をか・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ このヤコブと天使との相撲の話は、私にはまた子供の時分に郷里の高知でよく聞かされた怪談を思い出させる。 昔の土佐には田野の間に「シバテン」と称する怪物がいた。たぶん「柴天狗」すなわち木の葉天狗の意味かと想像される。夜中に田んぼ道を歩・・・ 寺田寅彦 「相撲」
・・・比較的新しい方の例で自分の体験の記憶に残っているのは明治三十二年八月二十八日高知市を襲ったもので、学校、病院、劇場が多数倒壊し、市の東端吸江に架した長橋青柳橋が風の力で横倒しになり、旧城天守閣の頂上の片方の鯱が吹き飛んでしまった。この新旧二・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・で読めばただ一目で土地の高低起伏、斜面の緩急等が明白な心像となって出現するのみならず、大小道路の連絡、山の木立ちの模様、耕地の分布や種類の概念までも得られる。 自分は汽車旅行をするときはいつでも二十万分一と五万分一との沿線地図を用意して・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・ 今度の大阪や高知県東部の災害は台風による高潮のためにその惨禍を倍加したようである。まだ充分な調査資料を手にしないから確実なことは言われないが、最もひどい損害を受けたおもな区域はおそらくやはり明治以後になってから急激に発展した新市街地で・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・程なく新高知丸の舷側につけば梯子の混雑例のごとし。荷物を上げ座もかまえ、まだ出帆には間もあればと岩亀亭へつけさせ昼飯したゝむ。江上油のごとく白鳥飛んでいよいよ青し。欄下の溜池に海蟹の鋏動かす様がおかしくて見ておれば人を呼ぶ汽笛の声に何となく・・・ 寺田寅彦 「東上記」
出典:青空文庫