・・・ 一週間経ったある日、八十二歳の高齢で死んだという讃岐国某尼寺の尼僧のミイラが千日前楽天地の地下室で見世物に出されているのを、豹一は見に行った。女性の特徴たる乳房その他の痕跡歴然たり、教育の参考資料だという口上に惹きつけられ、歪んだ顔で・・・ 織田作之助 「雨」
・・・故人となってしまった人というならまだしも、七十五歳の高齢とはいえ今なお安らかな余生を送っている人を、その人と一面識もない私が六年前の古い新聞の観戦記事の切り抜きをたよりに何の断りなしに勝手な想像を加えて書いたというだけでも失礼であろう。しか・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・ともかくあの人は、会社の年に二回の恒例昇給にも取り残されることがしばしばなのだ。あの人の社には帝大出の人はほかに沢山いるわけではなし、また、あの人はひと一倍働き者で、遅刻も早引も欠席もしないで、いいえ、私がさせないで、勤勉につとめているのに・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・空は底を返したるごとく澄み渡りて、峰の白雲も行くにところなく、尾上に残る高嶺の雪はわけて鮮やかに、堆藍前にあり、凝黛後にあり、打ち靡きたる尾花野菊女郎花の間を行けば、石はようやく繁く松はいよいよ風情よく、えんようたる湖の影はたちまち目を迎え・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・故に、道徳・知識のようなものにいたっては、ずいぶん高齢にいたるまで、すすんでやまぬのを見るのも多いが、元気・精力を要する事業にいたっては、この「働きざかり」をすぎてはほとんどダメで、いかなる強弩もその末は魯縞をうがちえず、壮時の麒麟も、老い・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・の時代がある、故に道徳・智識の如きに至っては、随分高齢に至る迄、進んで已まぬを見るのも多いが、元気・精力を要するの事業に至っては、此の「働き盛り」を過ぎては殆どダメで、如何なる強弩も其末魯縞を穿ち得ず、壮時の麒麟も老いては大抵驢馬となって了・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・その中でも、一番の高齢者で、いちばん元気よく見えるのは隣家のお婆さんであった。この人は酒の盃を前に置いて、「どうか、まあ太郎さんにもよいおよめさんを見つけてあげたいもんだ。とうさんの御心配で、こうして家もできたし。この次ぎは、およめさん・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・やらが重って起っても、一向に恋愛が成立しなかった好例として、次のような私の体験を告白しようと思うのである。 あれは私が弘前の高等学校にはいって、その翌年の二月のはじめ頃だったのではなかったかしら、とにかく冬の、しかも大寒の頃の筈である。・・・ 太宰治 「チャンス」
・・・元日に外科では手術室をすっかり片づけて恒例福引をし、今年は木村先生の盲腸の手術、指も入らない、で子供の指環をとった看護婦があったそうだ。 おなかの丸みで、細い医療用の物尺がうまくおさまっていない。木村先生はベッドの裾の方から廻って窮屈な・・・ 宮本百合子 「寒の梅」
・・・私たちの結婚通知の印刷物以来の恒例だからやってくれたのですって。――原泉夫妻[自注18]は四谷の大木戸ハウスというアパートで細君はトムさん[自注19]の新協劇団第一回公演では「夜明け前」に巡礼をやり、今やっているゴーゴリの芝居では何をやって・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫