・・・ 陽子の足許の畳の上へ胡坐を掻いて、小学五年生の悌が目醒し時計の壊れを先刻から弄っていた。もう外側などとっくに無くなり、弾機と歯車だけ字面の裏にくっついている、それを動かそうとしているのだ。陽子は少年らしい色白な頸窩や、根気よい指先を見・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・窓の方を向いて窮屈に胡座をくんでいた脚を下駄の上におろしながら、精力的な伸びをした。二人づれの国学院の学生がその時入って来て、座席を物色した。車内は九分通り満員だ。二人はその農夫の前えに並んでかけた。 農夫はやがて列車が動き出すと、学生・・・ 宮本百合子 「北へ行く」
・・・制服を着、帽子を胡座の上にのせ、浮れていた。地方の唄をすっかり暗誦していて合わせたり、「ほらほら、あれがそや」「ええなあ……恍惚する程ええやないか」 一菊と云う舞妓は、舞いながら、学生が何か合図するのだろう、笑いを押えようとし、・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・ ひたと我下にある大地ああ、よい 初夏よ私は 母の懐 野天に帰り心安らかに生命の滋液を吸う胡坐を組み只管イスラエルの民のように父なる天に溶け入るのだ。 文明人可笑しな 文明人何故 あの人・・・ 宮本百合子 「五月の空」
・・・監房の中では男たちがシャツや襦袢を胡坐の上にひろげて、時々脇腹などを掻きながら虱をとっている。 目立って自分の皮膚もきたなくなった。艶がぬけ、腕などこするとポロポロ白いものがおちる。虱がわき出した。虱の独特なむずつき工合がわかるようにな・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・己もそこへ胡座を掻いて里芋の選分を遣っ附けた。ところが己はちびでも江戸子だ。こんな事は朝飯前だ。外の餓鬼が笊に一ぱい遣るうちに、己は二はい遣るのだ。百姓奴びっくりしやぁがった。そして言草が好いや。里芋の選分は江戸の坊様に限ると抜かしやぁがる・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
・・・ 増田博士は胡坐を掻いて、大きい剛い目の目尻に皺を寄せて、ちびりちびり飲んでいる。抜け上がった額の下に光っている白目勝の目は頗る剛い。それに皺を寄せて笑っている処がひどく優しい。この矛盾が博士の顔に一種の滑稽を生ずる。それで誰でも博士の・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
・・・この男はいつも毒にも薬にもならない事を言うが、思の外正直で情を偽らないらしいので、木村がいつか誰やらに、山田と話をするのは、胡坐を掻いて茶漬を食っているようで好いと云ったことがある。その山田がこう云った。「どうも驚いちまった。日本にこん・・・ 森鴎外 「食堂」
・・・石田は夏衣袴のままで毛布の上に胡坐を掻いた。そこへ勝手から婆あさんが出て来た。「鳥はどうしなさりまするかの。」「飯の菜がないのか。」「茄子に隠元豆が煮えておりまするが。」「それで好い。」「鳥は。」「鳥は生かして置け。・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・主人はどっしりした体で、胡坐を掻いて、ちびりちびり酒を飲みながら、小川の表情を、睫毛の動くのをも見遁がさないように見ている。そのくせ顔は通訳あがりの方へ向けていて、笑談らしい、軽い調子で話し出した。「平山君はあの話をまだしらないのかい。まあ・・・ 森鴎外 「鼠坂」
出典:青空文庫