・・・若槻は――いや、当世の通人はいずれも個人として考えれば、愛すべき人間に相違あるまい。彼等は芭蕉を理解している。レオ・トルストイを理解している。池大雅を理解している。武者小路実篤を理解している。カアル・マルクスを理解している。しかしそれが何に・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・が、何もし出さない内に、おぎん一人を残したまま、二人とも故人になってしまった。勿論彼等他国ものは、天主のおん教を知るはずはない。彼等の信じたのは仏教である。禅か、法華か、それともまた浄土か、何にもせよ釈迦の教である。ある仏蘭西のジェスウイッ・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・すると子爵は早くもその不安を覚ったと見えて、徐に頭を振りながら、「しかし何もこう云ったからと云って、彼が私の留守中に故人になったと云う次第じゃありません。ただ、かれこれ一年ばかり経って、私が再び内地へ帰って見ると、三浦はやはり落ち着き払・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・「なおまた故人の所持したる書籍は遺骸と共に焼き棄て候えども、万一貴下より御貸与の書籍もその中にまじり居り候節は不悪御赦し下され度候。」 これはその葉書の隅に肉筆で書いてある文句だった。僕はこう云う文句を読み、何冊かの本が焔になって立・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・ 星 太陽の下に新しきことなしとは古人の道破した言葉である。しかし新しいことのないのは独り太陽の下ばかりではない。 天文学者の説によれば、ヘラクレス星群を発した光は我我の地球へ達するのに三万六千年を要するそうである。・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・これは我我個人ばかりではない。我我の社会も同じことである。恐らくは神も希望通りにこの世界を造ることは出来なかったであろう。 ムアアの言葉 ジョオジ・ムアアは「我死せる自己の備忘録」の中にこう言う言葉を挟んでいる。――「偉・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・しかし当代の文士を挙げて滝田君の世話になったと言うならば、それは故人に佞するとも、故人に信なる言葉ではあるまい。成程僕等年少の徒は度たび滝田君に厄介をかけた。けれども滝田君自身も亦恐らくは徳田秋声氏の如き、或は田山花袋氏の如き、僕等の先輩に・・・ 芥川竜之介 「滝田哲太郎氏」
・・・ちょっと見るとなんでもないようだが、古人の考えにはおろそかでないところがあるだろう。俺しは今日その商人を相手にしたのだから、先方の得手に乗せられては、みすみす自分で自分を馬鹿者にしていることになるのだ。といってからに俺しには商人のような嘘は・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ぐわかることだと思いますが、生産の大本となる自然物、すなわち空気、水、土のごとき類のものは、人間全体で使用すべきもので、あるいはその使用の結果が人間全体に役立つよう仕向けられなければならないもので、一個人の利益ばかりのために、個人によって私・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・歌は――文学は作家の個人性の表現だということを狭く解釈してるんだからね。仮に今夜なら今夜のおれの頭の調子を歌うにしてもだね。なるほどひと晩のことだから一つに纏めて現した方が都合は可いかも知れないが、一時間は六十分で、一分は六十秒だよ。連続は・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
出典:青空文庫