・・・文芸欄に、縦令個人の署名はしてあっても、何のことわりがきもなしに載せてある説は、政治上の社説と同じようなもので、社の芸術観が出ているものと見て好かろう。そこで木村の書くものにも情調がない、木村の選択に与っている雑誌の作品にも情調がないと云う・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・ましてや三右衛門が遺族に取っては、その敵討が故人の遺言になっている。そこで親族打ち寄って、度々評議を凝らした末、翌天保五年甲午の歳の正月中旬に、表向敵討の願をした。 評議の席で一番熱心に復讐がしたいと言い続けて、成功を急いで気を苛ったの・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・或る時故人松波資之さんにこのことを話しました。そうすると松波さんが、源氏物語は悪文だといわれました。随分皮肉なこともいうお爺さんでございましたから、この詞を余り正直に聞いて、源氏物語の文章を謗られたのだと解すべきではございますまい。しかし源・・・ 森鴎外 「『新訳源氏物語』初版の序」
・・・新聞紙のために古人の伝記を草するのも人の請うがままに碑文を作るのも、ここに属する。何故に現在の思量が伝記をしてジェネアロジックの方向を取らしめているかは、未だまったくみずから明かにせざるところで、上にいった自然科学の影響のごときは、少くも動・・・ 森鴎外 「なかじきり」
・・・そう云う心持になっていて、今飾磨屋と云う男を見ているうちに、僕はなんだか他郷で故人に逢うような心持がして来た。傍観者が傍観者を認めたような心持がしてきた。 僕は飾磨屋の前生涯を知らない。あの男が少壮にして鉅万の富を譲り受けた時、どう云う・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・われ有るに非ざれど、この痛みどこより来るか。古人の悩んだこんな悩ましさも、十数年来まだ梶から取り去られていなかった。そして、戦争が敗北に終わろうと、勝利になろうと、同様に続いて変らぬ排中律の生みつづけていく難問たることに変りはない。「あ・・・ 横光利一 「微笑」
・・・それら栖方のしていることごとが、単に栖方個人の夢遊中の幻影としてのみの事実で、真実でないかもしれない。いわば、その零のごとき空虚な事実を信じて誰も集り祝っているこの山上の小会は、いまこうして花のような美しさとなり咲いているのかもしれない。そ・・・ 横光利一 「微笑」
・・・徳川時代の主従関係のように個人的なものではなく、対国家の関係であった。これだけの相違が我々父子の間に存している。その事をまず小生は前記の手紙によって感じさせられたのである。 正直に言えば自分は、二十七日の事件を聞いたとき、自ら皇室を警衛・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
・・・それを刺そうという気は起らないが、嘲りの眼を以て見れば弱点をピンで刺し留めるのが唯一の興味である。それ故人に対する時自分の心の面には常に弱所を突こうとする欲望があった。またすべての愛は自愛に帰納せられた。人を愛する心持ちがどんなに強く自分の・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
『青丘雑記』は安倍能成氏が最近六年間に書いた随筆の集である。朝鮮、満州、シナの風物記と、数人の故人の追憶記及び友人への消息とから成っている。今これをまとめて読んでみると、まず第一に著者の文章の円熟に打たれる。文章の極致は、透明無色なガラ・・・ 和辻哲郎 「『青丘雑記』を読む」
出典:青空文庫