・・・今更体面を、顧慮する如きは、姑息の見であると云う。――二人は、各々、自説を固守して、極力論駁を試みた。 すると、老功な山崎が、両説とも、至極道理がある。が、まず、一応、銀を用いて見て、それでも坊主共が欲しがるようだったら、その後に、真鍮・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・ 諸君が姑息の慈善心をもって、些少なりとも、ために御斟酌下さろうかと思う、父母も親類も何にもない。 妻女は亡くなりました、それは一昨年です。最愛の妻でした。」 彼は口吃しつつ目瞬した。「一人の小児も亡くなりました、それはこの・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・感情をとやかくいうのは姑息です。看護婦ちょっとお押え申せ」 いと厳かなる命のもとに五名の看護婦はバラバラと夫人を囲みて、その手と足とを押えんとせり。渠らは服従をもって責任とす。単に、医師の命をだに奉ずればよし、あえて他の感情を顧みること・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・いするようなあの鉄枠やあるいは囚舎の壁、鉄扉にこの生きた魂、罪に汚れながらも自分のものとしてシッカと抱いていねばならぬ魂を打つけて、血まみれになっているその悲惨さを体味しながらそれでも一条の灯を認めて姑息ながらに生きているは「蠢くもの」その・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・津藩においては古来未曾有の大事件、もしこの事をして三十年の前にあらしめなば、即日にその党与を捕縛して遺類なきは疑を容れざるところなれども、如何せん、この時の事勢においてこれを抑制すること能わず、ついに姑息の策に出で、その執政を黜けて一時の人・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・仮令いその子を学校に入るるにもせよ、あるいは自宅にて教うるにもせよ、家の都合次第、今時の勢いにては才学に欠点なき父母も少なからん、あるいは家に教師を雇うべき財ある者も少なからんことなれば、やはり一時の姑息にて、よき学校を撰びてこれに入るるよ・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・その忠告者をば内心に軽侮し、因循姑息の頑物なりとてただ冷笑したるのみのことならん。 されば我々年少なりといえども、二十年前の君の齢にひとし。我々の挙動、軽躁なりというも、二十年前の君に比すれば、深く譴責を蒙るの理なし。ただし、君は旧幕府・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・実際をいえば弱宋の大事すでに去り、百戦必敗は固より疑うべきにあらず、むしろ恥を忍んで一日も趙氏の祀を存したるこそ利益なるに似たれども、後世の国を治る者が経綸を重んじて士気を養わんとするには、講和論者の姑息を排して主戦論者の瘠我慢を取らざるべ・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・最後に出でて、始めて濶眼を開き、なるべく多くの新材料、新題目を取りて歌に入れたる達見は、趣味を千年の昔に求めてこれを目睫に失したる真淵、景樹を驚かすべく、進取の気ありて進み得ずししょしゅんじゅんとして姑息に陥りたる諸平、文雄を圧するに足る。・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・若さは無意識のうちにこんにちの姑息ないいくるめや偽善をもの足りなく思っていて、「凱旋門」に描かれているあからさまな破壊とそれをしのぐ人間精神にひかれたのではなかったろうか。 三 遊廓は、封建的な婦女の市場だ・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
出典:青空文庫