・・・勿論その秘密のが、すぐ忌むべき姦通の二字を私の心に烙きつけたのは、御断りするまでもありますまい。が、もしそうだとすれば、なぜまたあの理想家の三浦ともあるものが、離婚を断行しないのでしょう。姦通の疑惑は抱いていても、その証拠がないからでしょう・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・自分は玄関に出迎えたまま、これこれの事情のあったために、何も書けなかったと云う断りを述べた。N君は自分に同情した。「じゃ今度はあきらめます」とも云った。自分は何だかN君の同情を強いたような心もちがした。同時に体の好い口実に瀕死の子供を使った・・・ 芥川竜之介 「子供の病気」
・・・…… 既に、何人であるかを知られて、土に手をついて太夫様と言われたのでは、そのいわゆる禁厭の断り悪さは、金銭の無心をされたのと同じ事――但し手から手へ渡すも恐れる……落して釵を貸そうとすると、「ああ、いや、太夫様、お手ずから。……貴女様・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 村の或家さ瞽女がとまったから聴きにゆかないか、祭文がきたから聴きに行こうのと近所の女共が誘うても、民子は何とか断りを云うて決して家を出ない。隣村の祭で花火や飾物があるからとの事で、例の向うのお浜や隣のお仙等が大騒ぎして見にゆくというに・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・もとより私に、一言の断りもいたしません。それほど、みんなは私をばかにしたのです。 そのうちに、夏もゆき、秋がきました。秋も末になると、ある日のこと、ペンキ屋がきて私を美しく、てかてかと塗りました。私は、思いがけないりっぱな着物を着たので・・・ 小川未明 「煙突と柳」
・・・ すると、もう私は断り切れず、雨戸のことで諒解を求める良い機会でもあると思い、立って襖をあけた。 その拍子に、粗末な鏡台が眼にはいった。背中を向けて化粧している女の顔がうつっていた。案の定脱衣場で見た顔だった。白粉の下に生気のない皮・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・炊事、縫物、借金取の断り、その他写本を得意先に届ける役目もした。若い見習弟子がひとりいたけれど、薄ぼんやりで役にもたたず、邪魔になるというより、むしろ哀れだった。 お君が上本町九丁目の軽部の下宿先へ写本を届けに行くと、二十八の軽部は・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ 断り無しに持って来た荷物を売りはらった金で、人力車を一台購い、長袖の法被に長股引、黒い饅頭笠といういでたちで、南地溝の側の俥夫の溜り場へのこのこ現われると、そこは朦朧俥夫の巣で、たちまち丹造の眼はひかり、彼等の気風に染まるのに何の造作・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・故人となってしまった人というならまだしも、七十五歳の高齢とはいえ今なお安らかな余生を送っている人を、その人と一面識もない私が六年前の古い新聞の観戦記事の切り抜きをたよりに何の断りなしに勝手な想像を加えて書いたというだけでも失礼であろう。しか・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・ですから平に御断りを致します。何処ぞの学校の寄宿舎にでも居ったとか何とかいう経歴がありましたら、下らない談話でも何でも、何か御話し致しましょうけれども。 強て何か話が無いかとお尋ねならば、仕方がありません、わたくしが少時の間――左様です・・・ 幸田露伴 「学生時代」
出典:青空文庫