・・・ このような化け物教育は、少年時代のわれわれの科学知識に対する興味を阻害しなかったのみならず、かえってむしろますますそれを鼓舞したようにも思われる。これは一見奇妙なようではあるが、よく考えてみるとむしろ当然な事でもある。皮肉・・・ 寺田寅彦 「化け物の進化」
・・・たとえそれまではパルプと真綿をすりかえる手品をやっていたに相違なくとも、その時には、やっているうちに、もしかするとほんとうにパルプが真綿に変わるかもしれないという不可思議な心持ちを、みずからつとめて鼓舞しつつ、ビーカーの中をかき回していたの・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・性の知れぬ者がこの闇の世からちょっと顔を出しはせまいかという掛念が猛烈に神経を鼓舞するのみである。今出るか、今出るかと考えている。髪の毛の間へ五本の指を差し込んでむちゃくちゃに掻いて見る。一週間ほど湯に入って頭を洗わんので指の股が油でニチャ・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・この模範通りにならなければならん、完全の域に進まなければならんと云う内部の刺激やら外部の鞭撻があるから、模倣という意味は離れますまいが、その代り生活全体としては、向上の精神に富んだ気概の強い邁往の勇を鼓舞されるような一種感激性の活計を営むよ・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・がもう一学期半辛抱すれば、華やかな東京に出られるのだからと強いて独り慰め、鼓舞していた。 十月の末であった。 もう、水の中に入らねばしのげないという日盛りの暑さでもないのに、夕方までグラウンドで練習していた野球部の連中が、泥と汗とを・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・人の義気・礼譲を鼓舞せんとするには、己れ自からこれに先だたざるべからず。ゆえに私塾の教師は必ず行状よきものなり。もし然らずして教師みずから放蕩無頼を事とすることあらば、塾風たちまち破壊し、世間の軽侮をとること必せり。その責大にして、その罰重・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・ その昆布のような黒いなめらかな梢の中では、あの若い声のいい砲艦が、次から次といろいろな夢を見ているのでした。 烏の大尉とただ二人、ばたばた羽をならし、たびたび顔を見合せながら、青黒い夜の空を、どこまでもどこまでものぼって行きました・・・ 宮沢賢治 「烏の北斗七星」
・・・波が昆布だ、越して行く。もう一つ持って来よう。こいつは苔でぬるぬるしている。これで二つだ。まだぐらぐらだ。も一つ要る。小さいけれども台にはなる。大丈夫だ。おれははだしで行こうかな。いいややっぱり靴ははこう。面倒くさい靴下はポケットへ押し込め・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・「おじさん。もう飢饉は過ぎたの。手伝いって何を手伝うの。」「昆布取りさ。」「ここで昆布がとれるの。」「取れるとも。見ろ。折角やってるじゃないか。」 なるほどさっきの二人は一生けん命網をなげたりそれを繰ったりしているようで・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
一、ペンネンノルデが七つの歳に太陽にたくさんの黒い棘ができた。赤、黒い棘、父赤い眼、ばくち。二、ノルデはそれからまた十二年、森のなかで昆布とりをした。三、ノルデは書記になろうと思ってモネラの町へ出かけて行った。氷羊歯・・・ 宮沢賢治 「ペンネンノルデはいまはいないよ 太陽にできた黒い棘をとりに行ったよ」
出典:青空文庫