・・・まあよかったと安心しながら、それを拾おうとすると、帽子は上手に僕の手からぬけ出して、ころころと二、三間先に転がって行くではありませんか。僕は大急ぎで立ち上がってまたあとを追いかけました。そんな風にして、帽子は僕につかまりそうになると、二間転・・・ 有島武郎 「僕の帽子のお話」
・・・そいつだが、婦人が、あの児を連れて、すっと通ると、むくりと脈を打ったように見えて、ころころと芝の上を斜違いに転がり出した。か、何か、哄と吶喊を上げて、小児が皆それを追懸けて、一団に黒くなって駆出すと、その反対の方へ、誰にも見着けられない・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・あれあれ雀が飛ぶように、おさえの端の石がころころと動くと、柔かい風に毛氈を捲いて、ひらひらと柳の下枝に搦む。 私は愕然として火を思った。 何処ともなしに、キリリキリリと、軋る轅の車の響。 鞠子は霞む長橋の阿部川の橋の板を、あっち・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・泥のままのと、一笊は、藍浅く、颯と青に洗上げたのを、ころころと三つばかり、お町が取って、七輪へ載せ、尉を払い、火箸であしらい、媚かしい端折のまま、懐紙で煽ぐのに、手巾で軽く髪の艶を庇ったので、ほんのりと珊瑚の透くのが、三杯目の硝子盃に透いて・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・「ねんねん、ころころ、ねんねしな。なかんで、いい子だ、ねんねしな。」 子供を失った悲しみから、気の狂ったおきぬは、昼となく、夜となく、こうしてうたいながら、村道を歩いて山の方へとさまよっていました。 村にあられが降り・・・ 小川未明 「谷にうたう女」
・・・いわば、あれでいけなければこれで来いと、あやしげな処方箋をたよりに、日本中の病人ひとり余さず客にして見せる覚悟をころころと調合したのである。 間もなく河原町の裏長屋同然の店をひき払って、霞町附近に「川那子メジシン全国総発売元」の看板を掛・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 霰はあとからあとへ黒い屋根瓦を打ってはころころ転がった。トタン屋根を撲つ音。やつでの葉を弾く音。枯草に消える音。やがてサアーというそれが世間に降っている音がきこえ出す。と、白い冬の面紗を破って近くの邸からは鶴の啼き声が起こった。堯の心・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・三十度以上の急な斜坑を、落ちた岩は、左右にぶつかりながら、下へころころころげて行った。 七百尺に上ると、それから、一寸竪坑の方によって、又、上に行く斜坑がある。井村は又、それを這い上った。蜘蛛の糸が、髪をのばした頭にからみついた。汚れた・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・いたいよう、いたいようと叫びながら、からだを苦しげにくねくねさせて、そのうちにころころ下にころがっていった。ゆるい勾配が、麓の街道までもかず枝のからだをころがして行くように思われ、嘉七も無理に自分のからだをころがしてそのあとを追った。一本の・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・ いいとしをして、それでも淋しさに、昼ごろ、ふらと外へ出て、さて何のあても無し、路の石塊を一つ蹴ってころころ転がし、また歩いていって、そいつをそっと蹴ってころころ転がし、ふと気がつくと、二、三丁ひとつの石塊を蹴っては追って、追いついては・・・ 太宰治 「鴎」
出典:青空文庫