・・・宿屋の二階の縁側にその時代にはまだ珍しい白いペンキ塗りの欄干があって、その下は中庭で樹木がこんもり茂っていた。その木々の葉が夕立にでも洗われたあとであったか、一面に水を含み、そのしずくの一滴ごとに二階の燈火が映じていた。あたりはしんとして静・・・ 寺田寅彦 「涼味数題」
・・・一際こんもりと生茂った林の間から寺の大きな屋根と納骨堂らしい二層の塔が聳えている。水のながれはやがて西東に走る一条の道路に出てここに再び橋がかけられている。道の両側には生垣をめぐらし倉庫をかまえた農家が立並び、堤には桟橋が掛けられ、小舟が幾・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ 突然、行手にこんもりした樹木と神社の屋根が見えた。その日深川の町からここに至るまで、散歩の途上に、やや年を経た樹木を目にしたのはこれが始めてである。道は辻をなし、南北に走る電車線路の柱に、「稲荷前」と書いてその下にベンチが二脚置いてあ・・・ 永井荷風 「元八まん」
人物 精霊 三人 シリンクス ダイアナ神ニ侍リ美くしい又とない様な精女 ペーン マアキュリの長子林の司こんもりしげった森の中遠くに小川がリボンの様に見える所。春の花は一ぱいに咲・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・そればかりか、力ある波紋を描きつつはけ道のない雨水が遂にその空地全体を池のようにしてしまった。こんもり高くして置いた青紫蘇の根元の土でさえ次第に流され、これは今にも倒れそうに傾きかけるものさえ出て来た。―― 私は小さい番傘をさし、裸足で・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
・・・ 彼女の部屋の硝子から、此方に著たきりの派手な羽織のこんもりと小高い背を見せたまま別の世界の住人のように無交渉に納っている。 千代が、さしずをされずに拵えるものは、何でもない、彼女自身の大好物な味噌おじや丈だとわかったとき、さほ子は・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・ 表通りと云っても、家よりは空地の方が多く、団子坂を登り切って右に曲り暫く行くと忽ち須藤の邸の杉林が、こんもり茂って蒼々として居た。間に小さく故工学博士渡辺 渡邸を挾んで、田端に降る小路越しは、すぐ又松平誰かの何万坪かある廃園になって居・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・吊橋にこんもりかぶさって密生している椎の梢の上に黒い深夜の空があり、黒が温泉場らしく和んだ大気に燦いているのが雨戸越しにも感じられる。除夜の鐘も鳴らない大晦日の晩が、ひっそりと正月に辷り込んだ。 三ガ日の繁忙をさけて来ている浴客だが・・・ 宮本百合子 「山峡新春」
・・・ 道路と庭との境は、低い常盤木の生垣とし、芝生の、こんもり樹木の繁った小径を、やや奥に引込んだ住居まで歩けたら、どんなに心持がよいでしょう。 余り市中から遠くない半郊外で、相当に展望もあり、本でも読める樹蔭があると同時に、小さい野菜・・・ 宮本百合子 「書斎を中心にした家」
・・・目は、石浦を経て由良の港に注ぐ大雲川の上流をたどって、一里ばかり隔った川向いに、こんもりと茂った木立ちの中から、塔の尖の見える中山に止まった。そして「厨子王や」と弟を呼びかけた。「わたしが久しい前から考えごとをしていて、お前ともいつものよう・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫