・・・「さあ私の頸をお抱き」 子どもはそのとおりにしました。「ママをキスしてちょうだい」 しかして小鳥のように半分開いたこの子の口からキスを一つもらいました。しかしてヒヤシンスのように青いこの子の目で見やられると、母の美しい顔は、・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・「まだ、もう一ぱいぶんくらい、ございますわ。」「いや、これだけでいい。」 私はコップを受け取って、ぐいぐい飲んで、飲みほし、仰向に寝た。「さあ、もう一眠りだ。キクちゃんも、おやすみ。」 キクちゃんも仰向けに、私と直角に寝・・・ 太宰治 「朝」
・・・「しょうべえに描くのですか、娯楽のために描くのですか。」「養生のためにやっています。」「肖像などは、あれはずいぶんかかるものでしょうね。」「さあ。一時間でも二十日でも、切りはありますまいね。」「小さいのよりも、やっぱり大・・・ 寺田寅彦 「断片(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・「何しろ七月はばかに忙しい月で、すっかり頭脳をめちゃくちゃにしてしまったんで、少し休養したいと思って」「それなら姉の家はどうですか。今は静かです」「さあ」道太の姪の家も広くはあるし、水を隔てて青い山も見えるので、悪くはないと思っ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・足痕をつけて行きゃア、篠田の森ア、直ぐと突止めまさあ。去年中から、へーえ、お庭の崖に居たんでげすか。」 清五郎の云う通り、足痕は庭から崖を下り、松の根元で消えて居る事を発見した。父を初め、一同、「しめた」と覚えず勝利の声を上げる。田崎と・・・ 永井荷風 「狐」
・・・という催促を受けたから、まだ上があるのかなと不思議に思った。さあ上ろうと同意する。上れば上るほど怪しい心持が起りそうであるから。 四階へ来た時は縹渺として何事とも知らず嬉しかった。嬉しいというよりはどことなく妙であった。ここは屋根裏であ・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・汽車は闇のなかをどんどん北へ走って行く。盛岡の上のそらがまだぼうっと明るく濁って見える。黒い藪だの松林だのぐんぐん窓を通って行く。北上山地の上のへりが時々かすかに見える。さあいよいよぼくらも岩手県をはなれるのだ。うちではみん・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ 神さんは「さあ」と躊躇した。「生憎ただ今爺が御邸へまいっていてはっきり分りませんが――賄は一々指図していただくことにしませんと……」 忠一が、「それはそうだろう」といった。「賄は別の方がいいさ、留守の時だっ・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・兄弟喧嘩をするなよ。さあ、瓢箪で腹を切るのをよう見ておけ」 こう言っておいて、弥一右衛門は子供らの面前で切腹して、自分で首筋を左から右へ刺し貫いて死んだ。父の心を測りかねていた五人の子供らは、このとき悲しくはあったが、それと同時にこれま・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・つまりそうした時が来ましたのですわ。さあ、お別れにこの手にキスをなさいまし。これからはまたただのお友達でございますよ。 男。さよう。どうも思召通りにするより外ありません。 女。ともかくもお互の間に愉快な、わだかまりの無い記念だけは残・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「最終の午後」
出典:青空文庫