・・・ さて次の間へ通った新蔵は、遠慮なく座蒲団を膝へ敷いて、横柄にあたりを見廻すと、部屋は想像していた通り、天井も柱も煤の色をした、見すぼらしい八畳でしたが、正面に浅い六尺の床があって、婆娑羅大神と書いた軸の前へ、御鏡が一つ、御酒徳利が一対・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・「ほいたって、こんな黒いんやかい……皆なサラを持っとるのに!」 以前に、自分が使っていた独楽がいいという自信がある健吉は、「阿呆云え、その独楽の方がえいんじゃがイ!」と、なぜだか弟に金を出して独楽を買ってやるのが惜しいような気が・・・ 黒島伝治 「二銭銅貨」
・・・ シャモニからゼネヴへ帰って、郊外に老学者サラサン氏をたずねました。たいへん喜んで迎えてくれ、自分の馬車にのせて町じゅうを案内してくれました。昼飯をよばれてから後にその広い所有地を見て歩きました。この人の細君が私どもの論文を仏訳してここ・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・このとき山の象どもは、沙羅樹の下のくらがりで、碁などをやっていたのだが、額をあつめてこれを見た。「ぼくはずいぶん眼にあっている。みんなで出てきて助けてくれ。」 象は一せいに立ちあがり、まっ黒になって吠えだした。「オツベルをやっつ・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・ 雄鴨は、危険なものに立ち向った時に、いつでもする様に体をズーッと平べったくし、首丈を長々とのばして、ゆるい傾斜の畑地の向うに、サラ……と音を立てて行く光ったものを見つめた。「なあんだ、 フフフフなあんだお前水だよ。水が・・・ 宮本百合子 「一条の繩」
・・・日本絵の具はそれに反して、あくまでもサラサラと、清水が流れ走るような淡白さを筆触の特徴とするように見える。また色彩の上から言っても、油絵の具は色調や濃淡の変化をきわめて複雑に自由に駆使し得るが、日本絵の具は混濁を脱れるためにある程度の単純化・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・この初陣に当たって偶然にも彼女はサラ・ベルナアルと落ち合ったのである。舞台監督はこの新しき女優を神のごときサラと相並べることの不利を思って一時彼女を陰に置こうとした。しかしデュウゼはきかない。なあに競争しよう、比較していただこう。私は恐れは・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫