・・・ いや、自分はリスポアでなくとも、この国を去る事が出来さえすれば、どんな土地へでも行きたいと思う。支那でも、沙室でも、印度でも、――つまり懐郷の悲しみは、自分の憂鬱の全部ではない。自分はただこの国から、一日も早く逃れたい気がする。しかし――・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・とも子は庭に、戸部と花田別室にはいり去る。青島 こんなアポロの面にいくら絵の具をなすりつけたって、ドモ又の顔にはなりゃしないや。も少し獅子鼻ででこぼこのある……まあこれだな、ベトーヴェンで間に合わせるんだな。青島、・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・歴史とは大人物の伝記のみとカーライルの喝破した言にいくぶんなりともその理を認むる者は、かの慾望の偉大なる権威とその壮厳なる勝利とを否定し去ることはとうていできぬであろう。自由に対する慾望とは、啻に政治上または経済上の束縛から個人の意志を解放・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・ ただ夫人は一夜の内に、太く面やつれがしたけれども、翌日、伊勢を去る時、揉合う旅籠屋の客にも、陸続たる道中にも、汽車にも、かばかりの美女はなかったのである。明治三十六年五月 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・そうして父は奈々子がこの世を去る数時間以前奈々子に別れてしまった。しかも奈々子も父も家におって……。いつもならば、家におればわずかの間見えなくとも、必ず子どもはどうしたと尋ねるのが常であるのに、その日の午後は、どういうものか数時間の間子ども・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・――おれは受け合っておくが、お前のように気の多い奴は、結局ここを去ることが出来ずにすむんだ」「いやなこッた!」立ち上って、両手に膳と土瓶とを持ち、「あとでいらっしゃい」と言って二階の段を降りて行った。下では、「きイちゃん、御飯」と、・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・危険と目指れた数十名の志士論客は三日の間に帝都を去るべく厳命された。明治の酷吏伝の第一頁を飾るべき時の警視総監三島通庸は遺憾なく鉄腕を発揮して蟻の這う隙間もないまでに厳戒し、帝都の志士論客を小犬を追払うように一掃した。その時最も痛快なる芝居・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。もし今までのエライ人の事業をわ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ 月日は、ちょうど、うす青い水の音なく流れるように、去るものです。のぶ子は、十歳になりました。そして、頭を傾けて、過ぎ去った、そのころのことを思い出そうとしましたが、うす青い霧の中に、世界が包まれているようで、そんなような姉さんがあった・・・ 小川未明 「青い花の香り」
・・・では、郷を去るまでだ、俺は俺の頭を守ると、私は気障な言い方をして、寮を去り下宿住いをした。丁度満州事変が起った直後のことであった。 寮生はすべて丸刈りたるべしという規則は、私にとっては奇怪な規則であった。私は何故こんな規則が出来たのだろ・・・ 織田作之助 「髪」
出典:青空文庫