・・・当時、私は甲府市に小さい家を借りて住んでいたのであるが、その結婚式の日に普段着のままで、東京のその先輩のお宅へ参上したのである。その先輩のお宅で嫁と逢って、そうして先輩から、おさかずきを頂戴して、嫁を連れて甲府へ帰るという手筈であった。北さ・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・実は参上して申述べ度きところでありますが、貴兄も一家の主人で子供ではなし、手紙で申してもききわけて頂けると信じ手紙で申します。どこか温い土地か温泉に行って静かに思索してはいかがでしょう。青森の兄さんとも相談して、よろしくとりはからわれるよう・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・七、八年も昔の事であるが、私は上州の谷川温泉へ行き、その頃いろいろ苦しい事があって、その山上の温泉にもいたたまらず、山の麓の水上町へぼんやり歩いて降りて来て、橋を渡って町へはいると、町は七夕、赤、黄、緑の色紙が、竹の葉蔭にそよいでいて、ああ・・・ 太宰治 「作家の手帖」
・・・ 山上の私語。「おもしろく読みました。あと、あと、責任もてる?」「はい。打倒のために書いたのでございませぬ。ごぞんじでしょうか。憤怒こそ愛の極点。」「いかって、とくした人ないと古老のことばにもある。じたばた十年、二十年あ・・・ 太宰治 「創生記」
・・・さすがに形容をはばかるが、惨状、眼をそむけしむるものがあったのである。おりからの炎熱とともに、ただならぬ悪臭を放つようになった。こんどは家内が、まいってしまった。「ご近所にわるいわ。殺してください」女は、こうなると男よりも冷酷で、度胸が・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・これは、会主のお宅へ参上してお礼を申し上げるのが本式なのであるが、手紙でも差しつかえ無い。ただ、その御礼の手紙には、必ず当日は出席する、と、その必ずという文字を忘れてはいけないのである。その必ずという文字は、利休の「客之次第」の秘伝にさえな・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・一日山上で労働して後に味わったそれらの食物のうまかったことは言うまでもない。 そのテント生活中にN先生に安全剃刀でひげを剃ってもらったのを覚えている。それは剃刀が切れ味があまりよくなくて少し痛かったせいもあるが、それまで一度も安全剃刀と・・・ 寺田寅彦 「詩と官能」
・・・ 夕方藤田君が来て、図書館と法文科も全焼、山上集会所も本部も焼け、理学部では木造の数学教室が焼けたと云う。夕食後E君と白山へ行って蝋燭を買って来る。TM氏が来て大学の様子を知らせてくれた。夜になってから大学へ様子を見に行く。図書館の書庫・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・は最も具象的な眼前の事実としてその惨状を暴露しているのである。 一家のうちでも、どうかすると、直接の因果関係の考えられないようないろいろな不幸が頻発することがある。すると人はきっと何かしら神秘的な因果応報の作用を想像して祈祷や厄払いの他・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・ 航空気象観測所と無線電信局とがまだ霜枯れの山上に相対立して航空時代の関守の役をつとめている。この辺の山の肌には伊豆地震の名残らしい地割れの痕がところどころにありありと見える。これを見ていると当時の地盤の揺れ方がおおよそどんなものであっ・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
出典:青空文庫