・・・ 魯西亜と日本は争わんとしては争わざらんとしつつある。支那は天子蒙塵の辱を受けつつある。英国はトランスヴールの金剛石を掘り出して軍費の穴を填めんとしつつある。この多事なる世界は日となく夜となく回転しつつ波瀾を生じつつある間に我輩のすむ小・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・その実例はこれを他に求むるを須たず、あるいは論者の中にもその身を寄する地位を失わざらんがために説を左し、また、その地位を得たるがために主義を右したることもあらん。これを得て右したる者は、これを失えば、また左すべし。何ぞ現在の左右を論ずるに足・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・人誰か故郷を思わざらん、誰か旧人の幸福を祈らざる者あらん。発足の期、近にあり。怱々筆をとって西洋書中の大意を記し、他日諸君の考案にのこすのみ。明治三年庚午一一月二七夜、中津留主居町の旧宅敗窓の下に記す福沢諭吉・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・の戯れに非るはこれを読む者誰かこれを知らざらん。しかるをなお強いて「戯れに」と題せざるべからざるもの、その裏面には実に万斛の涕涙を湛うるを見るなり。吁この不遇の人、不遇の歌。 彼と春岳との関係と彼が生活の大体とは『春岳自記』の文に詳なり・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・に句を乞はれて返歌なき青女房よ春の暮 琴心挑美人妹が垣根三味線草の花咲きぬ いずれの題目といえども芭蕉または芭蕉派の俳句に比して蕪村の積極的なることは蕪村集を繙く者誰かこれを知らざらん。一々ここに贅せず。客観的・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・余は彼女に遭はざらん事を希ふ。余の頭は今克く其戦に堪へず。」云々。 同じ頃、まだ生活の方向をも定めていなかった若い有島武郎は信仰上の深い懐疑を抱いたままアメリカ遊学の途に上った。一九〇三年の九月にシカゴに着いた。そこで森という一人物・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・単に、爾姦淫せざらん為に許りではない。人間は、より高大な、啓発された生活へ自分の霊を育てる為の助力者、試金石、として、先ず最も自分に近く、最も自分の負うべき自明の責任の権化である配偶を持たずには居られない本能を有するのではないか。 少く・・・ 宮本百合子 「黄銅時代の為」
・・・ 業ざらし。」「また喧嘩してるわ。もう止さえせ。」とお留は、帯を持って出て来て云った。「こんなしぶったれ婆と、誰が喧嘩するか。」と秋三は笑って見せた。「お前、黙っていやいて云うのにな!」「こいつ、どうしたらええ奴やろ!」とお・・・ 横光利一 「南北」
・・・明治大帝の詔にいう、「官武一途庶民に至るまで、各々そのこころざしを遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す」と。私利を先にして、天下万民に各々そのこころざしを遂げしむる努力を閑却するごときものは、大詔に違背せる非国民である。しかもこの徒が政・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
・・・しかし京都から移って来て数年後に東京の西北の郊外に住むようになってみると、杉苔は東京にもざらにあることがわかった。農家の防風林で日陰になっている畑の畔などにはしばしば見かける。散歩のついでにそれを取って来て庭に植えたこともあるが、それはいつ・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫