・・・それかといって、人形の演技は決してこの音楽のただの伴奏ではなくて、聴覚的音楽に対する視覚的音楽の対位法であり、立派な合奏である。もっともこの関係は歌舞伎でも同様なわけであろうが、人形芝居において、それがもっとも純化され高調されているように思・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・ 祖母の紡いだ糸を紡錘竹からもう一ぺん四角な糸繰り枠に巻き取って「かせ」に作り、それを紺屋に渡して染めさせたのを手機に移して織るのであった。裏の炊事場の土間の片すみにこしらえた板の間に手機が一台置いてあった。母がそれに腰をかけて「ちゃん・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・と云ってそうして口を大きく四角にあけて舌の先で下唇を嘗め廻した。そうして口をつぶってから心持首をかしげるようにしてクスクスとさも可笑しいという風に先生特有の笑い方をした。そういうときに先生はきっと顔を少し赤くして何となくうぶな処女のような表・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・従ってその視野と視角は固定してしまっている。しかし映画では第一その舞台が室内にでも戸外にでも海上にでも砂漠にでも自由に選ばれる。そうしてカメラの対物鏡は観客の目の代理者となって自由自在に空間中を移動し、任意な距離から任意な視角で、なおその上・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・またたとえばわが国古来の絵巻物のようなものも、視覚的影像の連続系列であるという点では似た要素をもっていないとは言われない。それからまた、眼底網膜の視像の持続性を利用するという点ではゾートロープやソーマトロープのようなおもちゃと似た点もあるが・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・われわれは聴覚と視覚を同時に働かせる事を要求される。この場合にもしあまりに複雑な、それ自身の存在を強く主張するような音楽を持ち込んだとしたらどうであろう。おそらくわれわれの注意はその音楽のほうに吸収されて視覚のほうが消えてしまうか、あるいは・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・しかしそれよりも大切なことは、映画の写し出す視覚的影像の喚起する実感の強度が、文字の描き出す心像のそれに比較して著しく強いという事実がこの差別を決定する重要な因子になるのではないかと思われる。 忠犬の死を「読む」だけならば、美しい感傷を・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・これは映写機のモーターの唸音の中から格好な楽音だけをわれわれの耳に特有な抽出作用によって選び出し、そうして視覚から来る連想の誘引に応じてスクリーンの上に投射したものらしい。 最近にはまた上記のものとは種類のちがった珍しい錯覚を経験した。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・厳密に言えば、時間の連続な流れの中から断続的に規則正しい間隔の断片を拾い上げたものを逆の順序に展開するのであるが、われわれの視覚的効果の上ではまさしく時の逆行となるのである。 時の逆行によって物の順序が逆になり原因と結果が入り代わるとい・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・ この書物の第十五章は盲と芸術との交渉を述べたものであるが、その中に、盲で同時に聾のヘレン・ケラーという有名な女の自叙伝中に現れた視覚的美の記述がどういう意味のものかという事を論じた一節がある。その珍しい自叙伝中から二、三小節を引用して・・・ 寺田寅彦 「鸚鵡のイズム」
出典:青空文庫