・・・ッ児の癖に、失礼な、末恐しい、見下げ果てた、何の生意気なことをいったって私が家に今でもある、アノ籐で編んだ茶台はどうだい、嬰児が這ってあるいて玩弄にして、チュッチュッ噛んで吸った歯形がついて残ッてら。叱り倒してと、まあ、怒っちゃあ嫌よ。」・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・ 飛んだことをいう奴だと思し召しますなら、私だけをお叱り下さいまして、何にも知りませんお米をおさげすみ下さいますなえ。 それにつけ彼につけましても時ならぬこの辺へ、旦那様のお立寄遊ばしたのを、私はお引合せと思いますが、飛んだ因縁だと・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ 頭髪あたかも銀のごとく、額兀げて、髯まだらに、いと厳めしき面構の一癖あるべく見えけるが、のぶとき声にてお通を呵り、「夜夜中あてこともねえ駄目なこッた、断念さっせい。三原伝内が眼張ってれば、びくともさせるこっちゃあねえ。眼を眩まそうとっ・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・ 男はとにかく、嫁はほんとうに、うしろ手に縛りあげると、細引を持ち出すのを、巡査が叱りましたが、叱られるとなお吼り立って、たちまち、裁判所、村役場、派出所も村会も一所にして、姦通の告訴をすると、のぼせ上がるので、どこへもやらぬ監禁同様と・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・学校に居ってこんなことを考えてどうするものかなどと、自分で自分を叱り励まして見ても何の甲斐もない。そういう詞の尻からすぐ民子のことが湧いてくる。多くの人中に居ればどうにか紛れるので、日の中はなるたけ一人で居ない様に心掛けて居た。夜になっても・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ と予言して、検事に叱り飛ばされたということである。 私は予言というものを大体に於て信じない方であるが、この話を今年の六月頃に聴いた時、何となく「昭和二十年八月二十日」というものを期待するようになった。 六月といえば、大阪に二回・・・ 織田作之助 「終戦前後」
・・・めったに叱ったこともありません、たまさか叱りましてもすぐに母の方から謝まるように私の気嫌を取りました。それで私は我儘な剛情者に育ちましたかと言うにそうではないので、腕白者のすることだけは一通りやりながら気が弱くて女のようなところがあったので・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・と少し叱り気味で云うと、「ハイ、ハイ、ご道理さまで。」と戯れながらお近はまた桑を採りに圃へ入る。それと引違えて徐に現れたのは、紫の糸のたくさんあるごく粗い縞の銘仙の着物に紅気のかなりある唐縮緬の帯を締めた、源三と同年か一つも上で・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・ 男は笑って呵りながら出で行く。その二 浴後の顔色冴々しく、どこに貧乏の苦があるかという容態にて男は帰り来る。一体苦み走りて眼尻にたるみ無く、一の字口の少し大なるもきっと締りたるにかえって男らしく、娘にはいかがなれど浮世・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・彼女があやし、叱り、機嫌などを取ってやると、喋る大人がしてやるより、遙か素直にききわけます。 スバーは小舎に入って来ると、サーツバシの首を抱きました。又、二匹の友達に頬ずりをします。パングリは、大きい親切そうな眼を向けて、スバーの顔をな・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
出典:青空文庫