・・・そうして蘆と藺との茂る濠を見おろして、かすかな夕日の光にぬらされながら、かいつぶり鳴く水に寂しい白壁の影を落している、あの天主閣の高い屋根がわらがいつまでも、地に落ちないように祈りたいと思う。 しかし、松江の市が自分に与えたものは満足ば・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・ 女の乞食は、ふたたび、気ままな体になって、花の咲く野原や、海の見える街道や、若草の茂る小山のふもとなどを、旅したくなったのであります。 女は、柱にかかっている小鳥に目をとめました。その小鳥は、お姫さまがかわいがっていられた美しい小・・・ 小川未明 「お姫さまと乞食の女」
・・・けられ、待つはずの吉次、敵にでも追われて逃げるような心持ちになり、衣服を着るさえあわただしく、お絹お常の首のみ水より現われて白銀の波をかき分け陸へと游ぐをちょっと見やりしのみ、途をかえて堤へ上り左右に繁る萱の間を足ばやに八幡宮の方へと急ぎぬ・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・ 御最後川の岸辺に茂る葦の枯れて、吹く潮風に騒ぐ、その根かたには夜半の満汐に人知れず結びし氷、朝の退潮に破られて残り、ひねもす解けもえせず、夕闇に白き線を水ぎわに引く。もし旅人、疲れし足をこのほとりに停めしとき、何心なく見廻わして、何ら・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・葉の繁るころ、この路はうすぐらく、地下道のようである。いまは一枚の葉もない。並木路のつきるところ、正面に赤い化粧煉瓦の大建築物。これは講堂である。われはこの内部を入学式のとき、ただいちど見た。寺院の如き印象を受けた。いまわれは、この講堂の塔・・・ 太宰治 「逆行」
・・・そういえば、春過ぎて若葉の茂るのも、初鰹の味の乗って来るのも山時鳥の啼き渡るのもみんなそれぞれ色々な生化学の問題とどこかでつながっているようである。しかしたとえこれに関して科学者がどんな研究をしようとも、いかなる学説を立てようとも、青葉の美・・・ 寺田寅彦 「五月の唯物観」
・・・みぎわに茂る葭の断え間に釣りをしている人があった。私の近づく足音を聞くと振り返ってなんだかひどく落ち付かぬふうを見せた。もしこの池で釣魚をする事が禁ぜられてでもいるか、そうでないとすれば、この人はやはり自分のようなたちの、言わばすわりの悪い・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・ 稲田桑畑芋畑の連なる景色を見て日本国じゅう鋤鍬の入らない所はないかと思っていると、そこからいくらも離れない所には下草の茂る雑木林があり河畔の荒蕪地がある。汽車に乗ればやがて斧鉞のあとなき原始林も見られ、また野草の花の微風にそよぐ牧場も・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・田崎と車夫喜助が鋤鍬で、雪をかき除けて見ると、去年中あれほど捜索しても分らなかった狐の穴は、冬も茂る熊笹の蔭にありあり見えすいて居る。いよいよ狐退治の評議が開かれる。 喜助は、唐辛でえぶせば、奴さん、我慢が出来ずにこんこん云いながら出て・・・ 永井荷風 「狐」
・・・裏の窓より見渡せば見ゆるものは茂る葉の木株、碧りなる野原、及びその間に点綴する勾配の急なる赤き屋根のみ。西風の吹くこの頃の眺めはいと晴れやかに心地よし。 余は茂る葉を見ようと思い、青き野を眺めようと思うて実は裏の窓から首を出したのである・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
出典:青空文庫