・・・ 仰せを蒙った三右衛門は恐る恐る御前へ伺候した。しかし悪びれた気色などは見えない。色の浅黒い、筋肉の引き緊った、多少疳癖のあるらしい顔には決心の影さえ仄めいている。治修はまずこう尋ねた。「三右衛門、数馬はそちに闇打ちをしかけたそうじ・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・人が思考する瞬間、行為する瞬間に、立ち現われた明確な現象で、人力をもってしてはとうてい無視することのできない、深奥な残酷な実在である。七 我らはしばしば悲壮な努力に眼を張って驚嘆する。それは二つの道のうち一つだけを選み取って・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・……当日は伺候の芸者大勢がいずれも売出しの白粉の銘、仙牡丹に因んだ趣向をした。幇間なかまは、大尽客を、獅子に擬え、黒牡丹と題して、金の角の縫いぐるみの牛になって、大広間へ罷出で、馬には狐だから、牛に狸が乗った、滑稽の果は、縫ぐるみを崩すと、・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・――中にも爾く端麗なる貴女の奥殿に伺候するに、門番、諸侍の面倒はいささかもないことを。 寺は法華宗である。 祖師堂は典正なのが同一棟に別にあって、幽厳なる夫人の廟よりその御堂へ、細長い古畳が欄間の黒い虹を引いて続いている。……広い廊・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・と、歯の無い口でむぐむぐと唱えて、「それ、利くであしょ、ここで点えるは施行じゃいの。艾入らずであす。熱うもあすまいがの。それ利くであしょ。利いたりゃ、利いたら、しょなしょなと消しておいて、また使うであすソ。それ利くであしょ。」と嘗め廻す・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ると、必ずしも敬服に価すべき良風許りでもない様なるが、さすがに優等民族じゃと羨しく思わるる点も多い、中にも吾々の殊に感嘆に堪えないのは、彼等が多大の興味を以て日常の食事を楽む点である、それが単に個人の嗜好と云うでなく、殆ど社会一般の風習であ・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・が、だんだん僕の私行があらわれて来るに従って、吉弥の両親と会見した、僕の妻が身受けの手伝いにやって来たなど、あることないことを、狭い土地だから、じきに言いふらした。 それに、吉弥が馬鹿だから、のろけ半分に出たことでもあろう、女優になって・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・が、少年の筆らしくない該博の識見に驚嘆した読売の編輯局は必ずや世に聞ゆる知名の学者の覆面か、あるいは隠れたる篤学であろうと想像し、敬意を表しかたがた今後の寄書をも仰ぐべく特に社員を鴎外の仮寓に伺候せしめた。ところが社員は恐る恐る刺を通じて早・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・学海翁は硬軟兼備のその頃での大宗師であったから、門に伺候して著書の序文を請うものが引きも切らず、一々応接する遑あらざる面倒臭さに、ワシが序文を書いたからッて君の作は光りゃアしない、君の作が傑作ならワシの序文なぞはなくとも光ると、味も素気もな・・・ 内田魯庵 「露伴の出世咄」
・・・所詮、美は、正しいことであり、正義に対する感激より、さらに至高の芸術はないと信じたのは、その頃のことでありました。 文壇というものがあって、そこに於て取扱われる問題は、何なりとも、私は、それに係わらず、自己の思念を抂げず、広い社会に向っ・・・ 小川未明 「自分を鞭打つ感激より」
出典:青空文庫