・・・ソヴェトは世界の芸術史上に、全く新しい一頁を開いているのだ。 従って、階級的にアカの他人であり、プロレタリアートが目標としているものとは反対な利害をもって生きている者に、ソヴェトの芝居が面白くない場合も万々あるだろう。面白くないのを通・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」
・・・の元検査掛の被告竹内景助が、他の十一名の被告たちと同じ発言をしないで、直接取調べにあたった検事たちが、きょうの公判廷に姿を見せていないことをいぶかりくりかえして、係検事たちの出廷を求めた事実は翌日の各紙上にもつたえられた。三鷹事件に連座した・・・ 宮本百合子 「それに偽りがないならば」
・・・情報局につとめていたことは、まのあたり平野氏に、天皇制と軍国主義の至上命令の兇猛さを示しつづけただろう。そこにつとめながら、そこの仕事を批判していた消極的な自虐性は、平野氏の心理に痼疾的なぐりぐりをこしらえたかのようだ。民主的政治にも、民主・・・ 宮本百合子 「孫悟空の雲」
・・・ 婦人作家がこの一年に比較的数多い作品を発表もしたのは一般に高まった文学性への要求と婦人作家たちの共通性である芸術至上の傾向によるものであるとされ、それは、男の作家がこの二三年の世相の推移につれ、その社会性の積極さの故に陥った混乱に対置・・・ 宮本百合子 「地の塩文学の塩」
・・・る新しい社会運動の動力であったロシアを何かの形で世界に紹介したという点から見ても、ツルゲーネフは、当時オストロフスキー、トルストイ、ドストイェフスキー、ゴンチャロフ、ニェクラーソフなどと共にロシア文学史上の「七星」の一人と数えられただけの特・・・ 宮本百合子 「ツルゲーネフの生きかた」
「道標」は、「伸子」から出発している「二つの庭」の続篇として、一九四七年の秋から『展望』誌上にかきはじめた。第一部、第二部、第三部とずっと『展望』にのせつづけて一九五〇年十月二十五日に、ひとまず三つの部分をおわった。 一・・・ 宮本百合子 「「道標」を書き終えて」
・・・古めかしい平仮名で懇に書かれたそれ等の文句には、微に詩情を動かすものさえある。けれども、私がたんのうする迄いるには、案内役に立たれた永山氏が多忙すぎる。数日の中にジャに出発されるところなのだ。福済寺、大浦、浦上天主堂への紹介を得、宿に帰った・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・国際局が、ソヴェト共和国に対する戦争勃発の際文学者は如何なる態度をとるべきかについて、世界の著名な作家の間から集めた意見は、曾てイズエスチャ紙上に掲載されたところである。 外国支部の指導において国際局は、プロレタリア作家乃至その団体の右・・・ 宮本百合子 「ニッポン三週間」
・・・――伸子は野バンナという形容詞にはっとした、それは彼女が感じていたものだったが、ヤバンと云い切れなかったものだった、 芸術至上主義者であって、そうあり切れなかった彼、強くリアリスティックになれない彼、ロマンティシズム 美を歴史的素材 ・・・ 宮本百合子 「「敗北の文学」について」
・・・文学史上の一つの定説となっているバルザックの情熱の追求、――悪徳も亦情熱の権化として偉大なものたり得る――ことを描いたのも、人間と人間との間のエネルギーの最大の集中の形として、関係の中におかれたのであった。 そのように、バルザックは飽く・・・ 宮本百合子 「バルザックについてのノート」
出典:青空文庫