・・・諸君は探偵と云うものを見て、歯するに足る人間とは思わんでしょう。探偵だって家へ帰れば妻もあり、子もあり、隣近所の付合は人並にしている。まるで道徳的観念に欠乏した動物ではない。たまには夜店で掛物をひやかしたり、盆栽の一鉢くらい眺める風流心はあ・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・この革命は諸藩士族の手に成りしものにして、その士族は数百年来周公孔子の徳教に育せられ、満腔ただ忠孝の二字あるのみにして、一身もってその藩主に奉じ、君のために死するのほか、心事なかりしものが、一旦開進の気運に乗じて事を挙げ、ついに旧政府を倒し・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・これも哲学流にていえば、等しく死する病人なれば、望なき回復を謀るがためいたずらに病苦を長くするよりも、モルヒネなど与えて臨終を安楽にするこそ智なるがごとくなれども、子と為りて考うれば、億万中の一を僥倖しても、故らに父母の死を促がすがごときは・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・蜉蝣のごときはあしたに生れ、夕に死する、ただ一日の命なのだ。みんな死ななけぁならないのだ。だからお前も私もいつか、きっと死ぬのにきまってる。」「はあ。」豚は声がかすれて、返事もなにもできなかった。「そこで実は相談だがね、私たちの学校・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
・・・と切歯する。 K市の年中行事として行われる「共同視察」参観者の列席の前で、佐田は児童との初歩的な階級性を帯びた質問応答によって彼の発見しつつある新しい教育法を示威しようとしたことから、ついに反動教育と決裂する。あやまれといわれたことに対・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・地上のあらゆる生物のうちで、自分たちの生き死する社会についての科学をもっているのは人間ばかりである。芸術を創り、それを愛し、宝とする能力は人類にしかないのと同じに。そこに、人間のよろこびはありえないだろうか。 まじめに科学の仕事にたずさ・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・ 自分たちが生れて、そこに生き、そこに死する国を愛する心に、男と女とのちがいはないということも一応はわかることであり、その心に立って、尽す力を男とひとしく女に認め評価するという態度もその限りでもっともであろう。 しかし、新しい日本の・・・ 宮本百合子 「女性の現実」
・・・肉体において殺されたものが、小林多喜二にしろ、野呂栄太郎にしろ、人類の発展史の裡に決して死することなく生存している。肉体においては生存していても、歴史の進む方向を判断する精神において既に死んでいる者が、死して死なざる生命に甦らされて今日物を・・・ 宮本百合子 「信義について」
・・・法王の申した事もござるし又私としても死するより恥な破門をうけた王の命令を奉ずるのは神の御名を汚す事になるから同じ意見のものと皆かたらって命令は奉ぜぬ事に致した。 と申すのじゃ。 叛逆を起すにわざわざ知らせて寄こいたのじゃ。・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・人類が今日まで夥しい努力と犠牲によって押しすすめて来た文化の蓄積を最も豊富、活溌に人間性の開花に資するようにうけとり活用して、そのような動的形態の中に脈々と燃える人間精神の不撓な前進の美を感得することは、何故これらの批評家にとってこれ程まで・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
出典:青空文庫