・・・歯が浮いて、酢ッぱい汁が歯髄にしみこむのをものともせずに、幾ツも、幾ツも、彼女はそれをむさぼり食った。蜜柑の皮は窓のさきに放られてうず高くなった。その上へ、陰気くさい雨がびしょ/\と降り注いでいた。 夜、一段ひくい納屋の向う側にある便所・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・植物図鑑によると雄花と雌花と別になっているそうであるが、自分の見た中にはどうも雄蕊雌蕊を兼備しているらしいものも見えた。 カワラマツバの小さな四弁花は弁と弁との間から出た雄蕊がみんな下へ垂れ下がって花心から逃げ出しそうにしている。ウツボ・・・ 寺田寅彦 「高原」
・・・と人のわるい笑をもらしたあとで、あわててさき後れたきりしまの赤い雌蕊にその身を置いてやるのも、この頃の私の心のさせることで有る。 人なみでない、と云うことは知って居るけれども、そうするのもやっぱりこの頃の私の心持で有る。・・・ 宮本百合子 「この頃」
出典:青空文庫