・・・得喪の理も死生の情も知って見れば、つまらないものなのです。そうではありませんか。」 盧生は、じれったそうに呂翁の語を聞いていたが、相手が念を押すと共に、青年らしい顔をあげて、眼をかがやかせながら、こう云った。「夢だから、なお生きたい・・・ 芥川竜之介 「黄粱夢」
・・・徹頭徹尾至誠の人だ。」 しかし青年は不相変、顔色も声も落着いていた。「無論俗人じゃなかったでしょう。至誠の人だった事も想像出来ます。ただその至誠が僕等には、どうもはっきりのみこめないのです。僕等より後の人間には、なおさら通じるとは思・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ 田口一等卒はこう云うと、狼狽したように姿勢を正した。同時に大勢の兵たちも、声のない号令でもかかったように、次から次へと立ち直り始めた。それはこの時彼等の間へ、軍司令官のN将軍が、何人かの幕僚を従えながら、厳然と歩いて来たからだった。・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・そうしてまた、第一の私と、同じ姿勢を装って居りました。もしそれがこちらを向いたとしたならば、恐らくその顔もまた、私と同じだった事でございましょう。私はその時の私の心もちを、何と形容していいかわかりません。私の周囲には大ぜいの人間が、しっきり・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・痩馬も歩いた姿勢をそのままにのそりと動かなくなった。鬣と尻尾だけが風に従ってなびいた。「何んていうだ農場は」 背丈けの図抜けて高い彼れは妻を見おろすようにしてこうつぶやいた。「松川農場たらいうだが」「たらいうだ? 白痴」・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・そんなことをやったおかげで子供の姿勢はみじめにも崩れて、扉はたちまち半分がた開いてしまった。牛乳瓶はここを先途とこぼれ出た。そして子供の胸から下をめった打ちに打っては地面に落ちた。子供の上前にも地面にも白い液体が流れ拡がった。 こうなる・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・ なぜなら、今そうやって跪いた体は、神に対し、仏に対して、ものを打念ずる時の姿勢であると思ったから。 あわれ、覚悟の前ながら、最早や神仏を礼拝し得べき立花ではないのである。 さて心がら鬼のごとき目をみひらくと、余り強く面を圧して・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・私の名に、もし松があらば、げにそのままの刺青である。「素晴らしい簪じゃあないか。前髪にささって、その、容子のいい事と言ったら。」 涙が、その松葉に玉を添えて、「旦那さん――堪忍して……あの道々、あなたがお幼い時のお話もうかがいま・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・その中で左に右く画家として門戸を張るだけの技倆がありながら画名を売るを欲しないで、終に一回の書画会をだも開かなかったというは市井町人の似而非風流の売名を屑しとしない椿岳の見識であろう。富有な旦那の冥利として他人の書画会のためには千円からの金・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・緑雨の最後の死亡自家広告は三馬や一九やその他の江戸作者の死生を茶にした辞世と共通する江戸ッ子作者特有のシャレであって、緑雨は死の瞬間までもイイ気持になって江戸の戯作者の浮世三分五厘の人生観を歌っていたのだ。 この緑雨の死亡自家広告と旅順・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
出典:青空文庫