・・・街路は清潔に掃除されて、鋪石がしっとりと露に濡れていた。どの商店も小綺麗にさっぱりして、磨いた硝子の飾窓には、様々の珍しい商品が並んでいた。珈琲店の軒には花樹が茂り、町に日蔭のある情趣を添えていた。四つ辻の赤いポストも美しく、煙草屋の店にい・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ このように明るく、親も子も同じように、道理には従うというきちんとした習慣で育てられれば、男の子も女の子も、おのずから動作もしっとりとし、正しいことに従う素直さをもち、互に扶け合う気風も出来ます。 躾にも筋がとおる、ということが・・・ 宮本百合子 「新しい躾」
・・・青葉の陰翳が肩に落ちて来るようなしっとりしたその道を何心なく行くと、ひょっと白い大きいものの姿が見えておどろいた。極めて貴族的な純白のコリーが、独特にすらりと長い顔、その胴つき、しなやかな前脚の線をいっぱいにふみかけ、大きい塵芥箱のふたをひ・・・ 宮本百合子 「犬三態」
・・・ もう夕方の香りの有りそうなもやがかなり下りて川で洗われてしっとりとつやのある背の馬が思うままにのびた草を喰べながら小馬を後につれながら同じ池のふちを歩いて居た。 人になれきったその馬の首を撫でたりカナカナと調子をあわせて口笛を吹い・・・ 宮本百合子 「グースベリーの熟れる頃」
・・・ しめっぽい、しっとりとした、楽しげな早春の夜。○緑色と卵色の縞のブラインドのすき間からは、じっと動かない灯と絶えず揺れ動く暖炉の焔かげとが写り、時に、その光波の真中を、若い女性らしい素早い、しなやかな人かげが黒く横切った。・・・ 宮本百合子 「結婚問題に就て考慮する迄」
・・・ 空には月があり、ゆっくり歩いていると肩のあたりがしっとり重り、薄ら寒い晩であった。彼等は帰るなり火鉢に手をかざしていると、「どうでござりました」 女将さんが煎茶道具をもって登って来た。「ようようお見やしたか」「顔違・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・ 其故同じアメリカでも、場所によっては、決して騒がしい女性許りではございません。 しっとりと、草の葉のさざめきに耳を傾ける人もございます。 私は、彼女等が圏境から与えられた騒躁な、騒躁でなければ居られない神経と云うものに、人間は・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・土が柔らかなら花床よ私の涙をしっとりと吸い優い芽をめぐませて呉れ花も咲くように―― 涙はあまり からくないか。―― *彼ゆえに幾千度ながす わが涙ぞ。なまじいに逢わざらまし・・・ 宮本百合子 「初夏(一九二二年)」
・・・ それは真個のおしゃれが低い意味での技巧で追つかないと同じで、心のおしゃれも、生々した感受性や、感じたものを細やかにしっとりと味わって身につけてゆく力や、心の波を周囲への理解の中で而もたっぷり表現してゆく力や、そう云うものの磨かれて・・・ 宮本百合子 「女性の生活態度」
・・・雨がふると幹の色はしっとりと落ちついた、潤いのある鮮やかさを見せる。緑の葉は涙にぬれたようなしおらしい色艶を増して来る。雨のあとで太陽が輝き出すと、早朝のような爽やかな気分が、樹の色や光の内に漂うて、いかにも朗らかな生の喜びがそこに躍ってい・・・ 和辻哲郎 「樹の根」
出典:青空文庫