・・・あるいは逆に肉体に共通な点のあるのが原因でそれが精神に影響して二人の別々な人間の間に師弟の関係を生じる一つの因縁にならないとは限らぬ。もしそうだとすれば先生と弟子とが同じ病気にかかる確率は、全く縁のない二人がそうなるより大きいかもしれない。・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・いつか私邸に呼ばれたときにその自慢の豊富な書庫を見せてもらったことがあったが、その蔵書の一部が教授の死後、わが中央気象台に買取られて保存されている。 ヘルマン教授には三学期通じてずっと世話になって特別の優遇を受けたような気がしていた。二・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・貴族の子弟であるので、Fellow Commoner として入学した。しかし極めて質素な生活をしていた。ここで有名な Routh の下に厳しい数学的訓練を受けた事が、後年の彼のために非常に有益であったことは彼自身も認めている。その頃彼はよく・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・政治を論じたり国事を憂いたりする事も、恐らくは貧家の子弟の志すべき事ではあるまい。但し米屋酒屋の勘定を支払わないのが志士義人の特権だとすれば問題は別である。 わたくしは教師をやめると大分気が楽になって、遠慮気兼をする事がなくなったので、・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・世間ではまだ鎌倉あたりへ別荘を建てて子弟の遊場をつくるような風習がなかった。尋常中学へ這入って一、二年過ぎた頃かと思う。季節が少し寒くなりかかると、泳げないから浅草橋あたりまで行って釣舟屋の舟を借り、両国から向嶋、永代から品川の砲台あたりま・・・ 永井荷風 「向島」
・・・その代り月給も昇げてくれないが、いくら月給を昇げてくれてもこういう取扱を変じて万事営業本位だけで作物の性質や分量を指定されてはそれこそ大いに困るのであります。私ばかりではないすべての芸術家科学者哲学者はみなそうだろうと思う。彼らは一も二もな・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・万法一に帰す、一いずれの所にか帰すというような禅学の公案工夫に似たものを指定しなければならんようになります。ショペンハウワーと云う人は生欲の盲動的意志と云う語でこの傾向をあらわしております。まことに重宝な文句であります。私もちょっと拝借しよ・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・かくしてようやくわが指定の地に至るのである。「塔」を見物したのはあたかもこの方法に依らねば外出の出来ぬ時代の事と思う。来るに来所なく去るに去所を知らずと云うと禅語めくが、余はどの路を通って「塔」に着したかまたいかなる町を横ぎって吾家に帰・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・もし私の推察通り大した貧民はここへ来ないで、むしろ上流社会の子弟ばかりが集まっているとすれば、向後あなたがたに附随してくるもののうちで第一番に挙げなければならないのは権力であります。換言すると、あなた方が世間へ出れば、貧民が世の中に立った時・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・我等の為し得るところは、精々のところ他人の製作した者の中から、あの額縁この表紙を選定し指定するに過ぎない。しかもその選定や指定すら、多くの困難なる事情の下に到底満足には行かないのである。されば芸術品の表装は、我等の作品の一部分であるにかかは・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
出典:青空文庫