・・・あるいはまた一晩中、秦淮あたりの酒家の卓子に、酒を飲み明かすことなぞもある。そう云う時には落着いた王生が、花磁盞を前にうっとりと、どこかの歌の声に聞き入っていると、陽気な趙生は酢蟹を肴に、金華酒の満を引きながら、盛んに妓品なぞを論じ立てるの・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・ 林右衛門は、修理の逆上が眼に見えて、進み出して以来、夜の目も寝ないくらい、主家のために、心を煩わした。――既に病気が本復した以上、修理は近日中に病緩の御礼として、登城しなければならない筈である。所が、この逆上では、登城の際、附合の諸大・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・ 父も若い時はその社交界の習慣に従ってずいぶん大酒家であった。しかしいつごろからか禁酒同様になって、わずかに薬代わりの晩酌をするくらいに止まった。酒に酔った時の父は非常におもしろく、無邪気になって、まるで年寄った子供のようであった。その・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・ 椿岳の兄が伊藤の養子婿となったはどういう縁故であったか知らないが、伊藤の屋号をやはり伊勢屋といったので推すと、あるいは主家の伊勢長の一族であって、主人の肝煎で養子に行ったのかも知れない。 伊藤というはその頃京橋十人衆といわれた幕府・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 主人の語るところによると、この哀れなきょうだいの父親というは、非常な大酒家で、そのために命をも縮め、家産をも蕩尽したのだそうです。そして姉も弟も初めのうちは小学校に出していたのが、二人とも何一つ学び得ず、いくら教師が骨を折ってもむだで・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・損得利害、明白なる場合に、何を渋らるるか、此の右膳には奇怪にまで存ぜらる。主家に対する忠義の心の、よもや薄い筈の木沢殿ではござるまいが。」と責むるが如くに云うと、左京の眼からも青い火が出たようだった。「若輩の分際として、過言にならぬ・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ 私の死んだ父が大酒家で、そのせいか私は、夫よりもお酒が強いくらいなのです。結婚したばかりの頃、夫と二人で新宿を歩いて、おでんやなどにはいり、お酒を飲んでも、夫はすぐ真赤になってだめになりますが、私は一向になんとも無く、ただすこし、どう・・・ 太宰治 「おさん」
・・・ 滅びた主家の家臣らが思い思いに離散して行く感傷的な終末に「荒城の月」の伴奏を入れたのは大衆向きで結構であるが、城郭や帆船のカットバックが少しくど過ぎてかえって効果をそぐ恐れがありはしないか。自分がいつも繰り返して言うようにもし映画製作・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・卒業試験の前のある日、灯ともしごろ、復習にも飽きて離れの縁側へ出たら栗の花の香は慣れた身にもしむようであった。主家の前の植え込みの中に娘が白っぽい着物に赤い帯をしめてねこを抱いて立っていた。自分のほうを見ていつにない顔を赤くした・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・ 要するに、従来のいわゆる統計物理学は物理学の一方の庇を借りた寄生物であったのであるが、今ではこの店子に主家を明け渡す時節が到来しつつあるのではないか。ほんとうの新統計的物理学はこれから始まるべきではないか。これはもちろん筆者のはなはだ・・・ 寺田寅彦 「量的と質的と統計的と」
出典:青空文庫