・・・の入口の廊下から、みんなが列をつくっている場所の壁まで、うまく注意をひきつけるように傷害予防のポスターが貼りまわされている。「注意! 注意! 命をすてるな」坑内へすてたタバコの吸殼からガス爆発をする絵が描いてある。「注意! 同志たち・・・ 宮本百合子 「ドン・バス炭坑区の「労働宮」」
・・・空襲によって、職場の傷害によって命を落した学徒や勤労婦人の数は決して少くない。不熟練でしかも熱心に長時間機械の前に立った時、職場の災害は非常に増大するのが当然である。しかし青少年工、女子労働者のために特別な危険防止の施設というものは考えられ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・どんな sport をしたって、障礙を凌ぐことはある。また芸術が笑談でないことを知らないのでもない。自分が手に持っている道具も、真の鉅匠大家の手に渡れば、世界を動かす作品をも造り出すものだとは自覚している。自覚していながら、遊びの心持になっ・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・それだからどうぞ殿様に殉死を許して戴こうという願望は、何物の障礙をもこうむらずにこの男の意志の全幅を領していたのである。 しばらくして長十郎は両手で持っている殿様の足に力がはいって少し踏み伸ばされるように感じた。これはまただるくおなりに・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・亡くなる少し前に、「弥一右衛門奴はお願いと申すことを申したことはござりません、これが生涯唯一のお願いでござります」と言って、じっと忠利の顔を見ていたが、忠利もじっと顔を見返して、「いや、どうぞ光尚に奉公してくれい」と言い放った。 弥一右・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・三十六歳で右近衛権少将にせられた家康の一門はますます栄えて、嫡子二郎三郎信康が二十一歳になり、二男於義丸(秀康が五歳になった時、世にいう築山殿事件が起こって、信康はむざんにも信長の嫌疑のために生害した。後に将軍職を承け継いだ三男長丸(秀忠は・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・この貴夫人と云う詞は、女の生涯のうちある五年間を指すに定れり。男をば単に男と記す。その人いわゆる男盛りと云う年になりたれば。貴夫人。なんだかもう百年くらいお目に懸からないようでございますね。男。ええ。そんなに御疎遠になったのを残念に・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
・・・だが、彼の生涯を通して、アングロサクソンのように彼を苦しめた田虫もまた、同時にそのときの一兵卒の銃から肉体へ移って来た。 ナポレオンの田虫は頑癬の一種であった。それは総ゆる皮膚病の中で、最も頑強な痒さを与えて輪郭的に拡がる性質をもってい・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・その犯罪、その生涯の事を思ったのである。 丁度浮木が波に弄ばれて漂い寄るように、あの男はいつかこの僻遠の境に来て、漁師をしたか、農夫をしたか知らぬが、ある事に出会って、それから沈思する、冥想する、思想の上で何物をか求めて、一人でいると云・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・と仰有ってまたちょっと口を結び、力のなさそうな溜息をなすって、僕のあたまを撫ながら、「坊もどうぞあの通りな立派な生涯を送って、命を終る時もあのようにいさぎよくなければなりません。真の名誉というものは、神を信じて、世の中に働くことにあるので、・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫