・・・少し不足になったという評判が立ったので、いままで酒を飲んだ事のない人まで、よろしい、いまのうちに一つ、その酒なるものを飲んで置こう、何事も、経験してみなくては損である、実行しよう、という変な如何にも小人のもの欲しげな精神から、配給の酒もとに・・・ 太宰治 「禁酒の心」
・・・長人国。小人国。昼のない国。夜のない国。さては、百万の大軍がいま戦争さいちゅうの曠野。戦船百八十隻がたがいに砲火をまじえている海峡。シロオテは、日の没するまで語りつづけたのである。 日が暮れて、訊問もおわってから、白石はシロオテをそ・・・ 太宰治 「地球図」
・・・孔子曰く、「君子は人をたのしませても、おのれを売らぬ。小人はおのれを売っても、なおかつ、人をたのしませることができない。」文学のおかしさは、この小人のかなしさにちがいないのだ。ボオドレエルを見よ。葛西善蔵の生涯を想起したまえ。腹のできあがっ・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・しかに愉快でもありまたいろいろな意味で有益ではあろうが、しかし、前者の体験する三昧の境地はおそらく王侯といえども味わう機会の少ないものであって、ただ人類の知恵のために重い責任を負うて無我な真剣な努力に精進する人間にのみ恵まれた最大のラキジュ・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・ではなくて、生身の足を保護するためにはくものである。もし足はどうなってもいい、靴さえ減らなければいいというのならば、いっその事全部鋼鉄製の靴をはけばいいわけである。 はきごこち、踏みごこちの柔らかであるということは、結局磨滅しやすいとい・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・君子が小人を視るの態度でもない。男が女を視、女が男を視るの態度でもない。つまり大人が小供を視るの態度である。両親が児童に対するの態度である。世人はそう思うておるまい。写生文家自身もそう思うておるまい。しかし解剖すればついにここに帰着してしま・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・時にこう、精進料理じゃ、あした、御山へ登れそうもないな」「また御馳走を食いたがる」「食いたがるって、これじゃ営養不良になるばかりだ」「なにこれほど御馳走があればたくさんだ。――湯葉に、椎茸に、芋に、豆腐、いろいろあるじゃないか」・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・今時の民家は此様の法をしらずして行規を乱にして名を穢し、親兄弟に辱をあたへ一生身を空にする者有り。口惜き事にあらずや。女は父母の命と媒妁とに非ざれば交らずと、小学にもみえたり。仮令命を失ふとも心を金石のごとくに堅くして義を守るべし。・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・和尚にも斎をすすめ其人等も精進料理を食うて田舎のお寺の座敷に坐っている所を想像して見ると、自分は其場に居ぬけれど何だかいい感じがする。そういう具合に葬むられた自分も早桶の中であまり窮屈な感じもしない。斯ういう風に考えて来たので今迄の煩悶は痕・・・ 正岡子規 「死後」
・・・釈迦は出離の道を求めんが為に檀特山と名くる林中に於て六年精進苦行した。一日米の実一粒亜麻の実一粒を食したのである。されども遂にその苦行の無益を悟り山を下りて川に身を洗い村女の捧げたるクリームをとりて食し遂に法悦を得たのである。今日牛乳や鶏卵・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
出典:青空文庫