・・・ 士官は焦躁にかられだして兵士を呶鳴りつけた。「ハイ、うちます。」 また、弾丸が空へ向って呻り出た。「うてッ! うてッ!」「ハイ。」 濃厚な煙が流れてきた。士官も兵士も眼を刺された。煙ッたくて涙が出た。 ・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ 彼は背に火がついたような焦燥を感じた。そして、心で日本刀の味を知れ! と呟いた。 ――入院患者をつれてきた上等兵の話はそういうことだった。 ついすると、ロシアの娘は、中尉がさきに手をつけていた、その女だったかも知れなかった。・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・ 井村は、自分にむけられた三本脚の松ツァンの焦燥にギョロ/\光った視線にハッとした。「うちの市三、別条なかったか。」 市三は、影も形も彼の眼に這入らなかった。井村は、眼を伏せて、溜息をして、松ツァンの傍を病院の方へ通りぬけた。・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・革命運動などのような、もっとも熱烈な信念と意気と大胆と精力とを要するの事業は、ことに少壮の士に待たねばならぬ。古来の革命は、つねに青年の手によってなされたのである。維新の革命に参加してもっとも力のあった人びとは、当時みな二十代から三十代であ・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・である、文学・芸術の如きに至っても、不朽の傑作たる者は其作家が老熟の後よりも却って未だ大に名を成さざる時代の作に多いのである、革命運動の如き、最も熱烈なる信念と意気と大胆と精力とを要するの事業は、殊に少壮の士に待たねばならぬ、古来の革命は常・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・あの米騒動以来、だれしもの心を揺り動かさずには置かないような時代の焦躁が、右も左もまだほんとうにはよくわからない三郎のような少年のところまでもやって来たかと。私は屋外からいろいろなことを聞いて来る三郎を見るたびに、ちょうど強い雨にでもぬれな・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・子安が着いて見ると案外心易い、少壮な学者だ。 こうなると教員室も大分賑かに成った。桜井先生はまだ壮年の輝きを失わない眼付で、大きな火鉢を前に控えて、盛んに話す。正木大尉は正木大尉で強い香のする刻煙草を巻きながら、よく「軍隊に居た時分」を・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・細民街のぼろアパアト、黄塵白日、子らの喧噪、バケツの水もたちまちぬるむ炎熱、そのアパアトに、気の毒なヘロインが、堪えがたい焦躁に、身も世もあらず、もだえ、のたうちまわっているのである。隣の部屋からキンキン早すぎる回転の安蓄音器が、きしりわめ・・・ 太宰治 「音に就いて」
・・・ことにも、それが芸術家の場合、黒煙濛々の地団駄踏むばかりの焦躁でなければなりません。芸術家というものは、例外なしに生れつきの好色人であるのでありますから、その渇望も極度のものがあるのではないかと、笑いごとでは無しに考えられるのであります。殊・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・青春は人生の花だというが、また一面、焦燥、孤独の地獄である。どうしていいか、わからないのである。苦しいにちがいない。 なるほど、と私は首肯し、その苦しさを持てあまして、僕のところへ、こうしてやって来るのかね、ひょっとしたら太宰も案外いい・・・ 太宰治 「困惑の弁」
出典:青空文庫