・・・ところどころ、大きな地崩れでやっと一人歩ける小道が、右手の石垣よりに遺されている。やはりごろた石の垣だ。歩きながら、なほ子はひとりでに二三度、その石垣の上の家の方へ視線を向けた。彼女が五日ばかりいた小林区の役宅と云うのは、確かにその辺に在っ・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・ どの小道へ曲っても、乾いた太陽と風とがある。 粘土と平ったい石片とで築かれたアラビア人の城砦の廃墟というのへ登り、風にさからって展望すると、バクーの新市街の方はヨーロッパ風の建物の尖塔や窓々で燦めいている。けれども目の下の旧市街は・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・ということをいいたてて、それぞれの小道の中に引っ込んでいることは、客観的にはその人自身さえも望んでいない力に協力することになってしまう。 日本ではデモクラシーの道幅が如何にもせまい。それをひろげる為に、日本にはよその国と違った強い強い前・・・ 宮本百合子 「前進的な勢力の結集」
・・・ 高津正道、佐野学、山川均菊栄氏等もやられたと云う噂あり。実に複雑な世相。一部の人々は皆この際やってしまう方がよいと云う人さえある。社会主義がそれで死ぬものか、むずかしいことだ。だまし打ちにしたのはとにかく非人道な行為としなければなるま・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・種々の抵抗にぶつかり、小道へまで引きまわされ、脂のきつい文章の放散する匂いに揉まれ、而もそれらのごたごたした裡から、髣髴と我々の印象に刻された従妹ベットの復讐の恐ろしい情熱、マルヌッフ夫妻、ユロ男爵の底を知らぬ深刻な情慾への没落、カトリック・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・既に自然主義にはおさまれず、さりとて自身の伝統によって内田魯庵の唱導したような文学の方向にも向えず、新しい方向に向いつつ顫動していた敏感な精神の姿である。芥川の散文は教養のよせ木であり脆さが痛々しいばかりである。 最近十年間に登場した作・・・ 宮本百合子 「バルザックについてのノート」
・・・ 服装がばらばらなとおり、めいめいの生活もめいめいの小道の上に営まれて来ているのだけれども、きょうは、そのめいめいが、どこかでつかまっていて離さなかった一本の綱を、公然と手繰りあってここに顔を合わせた、そういう、一種のつつましさと心はず・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・用事で公園をいそぎ足にぬけていたら、いかにも菊作りしそうな小商人風の小父さんが、ピンと折れ目のついた羽織に爪皮のかかった下駄ばきで、菊花大会会場と立札の立っている方の小道へ歩いて行きました。 先達って靖国神社のお祭りの時は、二万人ほどの・・・ 宮本百合子 「二人の弟たちへのたより」
・・・国文学研究の正道に立って、古典が文学外の力に利用されることに疑義を挾むぐらい、真に気魄をもって国文学を研究する人は尠い。明治以来今日迄のヨーロッパ文学研究の盛んなのとその影響力に対して、或る種の国文学研究者は、自身の態度として、反動である可・・・ 宮本百合子 「文学上の復古的提唱に対して」
・・・ 裏の小道を生垣沿いにかえりながら、私は何となしひとり笑えて来た。咄嗟に、自分のことにひきつけてあわてたような気持になったのが如何にも女房くさくて我ながら滑稽なのであった。 三四日してから、或る友達のところへ行ったら、主人は留守で子・・・ 宮本百合子 「まちがい」
出典:青空文庫