・・・はっと思うたが及ばない、見れば猪口は一つ跳って下の靴脱の石の上に打付って、大片は三ツ四ツ小片のは無数に砕けてしまった。これは日頃主人が非常に愛翫しておった菫花の模様の着いた永楽の猪口で、太郎坊太郎坊と主人が呼んでいたところのものであった。ア・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・ どうしてこんな小片が、よくこなれた繊維の中で崩れずに形を保って来たものか。この紙の製造方法を知らない私には分らない疑問であった。あるいはこれらの部分だけ油のようなものが濃く浸み込んでいたためにとろけないで残って来たのではないかと思った・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・人生の全局面を蔽う大輪廓を描いて、未来をその中に追い込もうとするよりも、茫漠たる輪廓中の一小片を堅固に把持して、其処に自然主義の恒久を認識してもらう方が彼らのために得策ではなかろうかと思う。――明治四三、七、二三『東京朝日新聞』――・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
・・・そんな雑誌としては珍らしい何かの味をもった小篇でその作者の小熊秀雄というひとの名が私の記憶にとどまった。北海道から送られて来る原稿ということも知った。 つづけて二三篇童話がのって、次ぎの春時分の或る日突然その小熊秀雄というひとが家へ訪ね・・・ 宮本百合子 「旭川から」
・・・という一小篇探偵小説の中に、なかなか無邪気ならぬ或る種の現代文化の動向を反映しているこの作者は「盲いた月」で一寸したヒステリーに関する科学的トリックを利用しつつ、ウィーンにおける親日支那青年李金成暗殺の物語を語るなかで、「支那人を捕える方法・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
出典:青空文庫