・・・ 小万は涙ながら写真と遺書とを持ったまま、同じ二階の吉里の室へ走ッて行ッて見たが、もとより吉里のおろうはずがなく、お熊を始め書記の男と他に二人ばかりで騒いでいた。 小万は上の間へ行ッて窓から覗いたが、太郎稲荷、入谷金杉あたりの人家の・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・その仲間の中にも往々才力に富み品行賤しからざる者なきに非ざれども、かかる人物は、必ず会計書記等の俗役に採用せらるるが故に、一身の利害に忙わしくして、同類一般の事を顧るに遑あらず。非役の輩は固より智力もなく、かつ生計の内職に役せられて、衣食以・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・ 本塾に入りて勤学数年、卒業すれば、銭なき者は即日より工商社会の書記、手代、番頭となるべく、あるいは政府が人をとるに、ようやく実用を重んずるの風を成したらば、官途の営業もまた容易なるべく、幸にして資本ある者は、新たに一事業を起して独立活・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・で、私の職業の変遷を述べれば、官報局の翻訳係、陸軍大学の語学教師、海軍省の編輯書記、外国語学校の露語教師なぞという順序だが、今云った国際問題等に興味を有つに至って浦塩から満洲に入り、更に蒙古に入ろうとして、暫時警務学堂に奉職していた事なんぞ・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・がて去にたる魚屋かな褌に団扇さしたる亭主かな青梅に眉あつめたる美人かな旅芝居穂麦がもとの鏡立て身に入むや亡妻の櫛を閨に蹈む門前の老婆子薪貪る野分かな栗そなふ恵心の作の弥陀仏書記典主故園に遊ぶ冬至かな沙弥律師こ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・「さよう、病人が病名を知らなくてもいいのですがまあ蛭石病の初期ですね、所謂ふう病の中の一つ。俗にかぜは万病のもとと云いますがね。それから、ええと、も一つのご質問はあなたの命でしたかね。さよう、まあ長くても一万年は持ちません。お気の毒です・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・「何か学問をして書記になりたいもんだな。もう投げるようなたぐるようなことは考えただけでも命が縮まる。よしきっと書記になるぞ。」 ペンネンネンネンネン・ネネムはお銭を払って店を出る時ちらっと向うの姿見にうつった自分の姿を見ました。・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
一、ペンネンノルデが七つの歳に太陽にたくさんの黒い棘ができた。赤、黒い棘、父赤い眼、ばくち。二、ノルデはそれからまた十二年、森のなかで昆布とりをした。三、ノルデは書記になろうと思ってモネラの町へ出かけて行った。氷羊歯・・・ 宮沢賢治 「ペンネンノルデはいまはいないよ 太陽にできた黒い棘をとりに行ったよ」
・・・「いや今晩は、どうもひどい暑気ですね。」「へい、全く、虫でしめっ切りですからやりきれませんや。」「そうねえ、いや、さよなら。」撃剣の先生はまただんだん向うへ叫んで行きました。 この声がだんだん遠くなって、どこかの町の角でもま・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・けれども役所のなかとちがって競馬場には物知りの年とった書記も居なければ、そんなことを書いた辞書もそこらにありませんでしたから、わたくしは何ということなしに輪道を半分通って、それからこの前山羊が村の人に連れられて来た路をそのまま野原の方へある・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
出典:青空文庫