・・・「なおまた故人の所持したる書籍は遺骸と共に焼き棄て候えども、万一貴下より御貸与の書籍もその中にまじり居り候節は不悪御赦し下され度候。」 これはその葉書の隅に肉筆で書いてある文句だった。僕はこう云う文句を読み、何冊かの本が焔になって立・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・「これは雷水解と云う卦でな、諸事思うようにはならぬとあります。――」 お蓮は怯ず怯ず三枚の銭から、老人の顔へ視線を移した。「まずその御親戚とかの若い方にも、二度と御遇いにはなれそうもないな。」 玄象道人はこう云いながら、また・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・――先へ立つ世話方の、あとに続く一樹、と並んで、私の上りかかる処を、あがり口で世話方が片膝をついて、留まって、「ほんの仮舞台、諸事不行届きでありまして。」 挨拶するのに、段を覗込んだ。その頭と、下から出かかった頭が二つ……妙に並んだ形が・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・何か、代物を所持なさらんで、一挺、お蝋が借りたいとでも言わるる事か、それも御随意であす。じゃが、もう時分も遅いでな。」「いいえ、」「はい、」と、もどかしそうな鼻息を吹く。「何でございます、その、さような次第ではございません。それ・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・続きましては、手前預りまする池なり、所持の屋形船。烏滸がましゅうござりますが、従って手前どもも、太夫様の福分、徳分、未曾有の御人気の、はや幾分かおこぼれを頂戴いたしたも同じ儀で、かような心嬉しい事はござりませぬ。なおかくの通りの旱魃、市内は・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・月給袋のなかの金が唯一の所持金だったが、だんだんにそれもなくなって行った。半分は捨鉢な気持で新聞広告で見た霞町のガレーヂへ行き、円タク助手に雇われた。ここでは学歴なども訊かれず、かえってさばさばした気持だった。しかし、一日に十三時間も乗り廻・・・ 織田作之助 「雨」
・・・職を求めて東京市中を三日さまよう内に、僅かな所持金もなくなり、本郷台町のとある薄汚いしもたやの軒に、神道研究の看板が掛っているのを見て、神道研究とはどういうものかわからなかったが、兎も角も転がり込んだ時は、書生にしてくれと、頼む泣声も出なか・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・「――いっそ木の枝に『この木一万三千円也』と書いた札をぶら下げて置くと良いだろう」 と、皮肉ってやると、お前はさすがにいやな顔をした。「諸事倹約」「寄附一切御断り」などと門口に貼るよりも未だましだが、たとえば旅行すると、赤帽に二十円、宿・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・大人しく十五円払うと所持金は五十円になってしまった。 夜が明けると、駅前の闇市が開くのを待って女学生の制服を着た女の子から一箱五円の煙草を買った。箱は光だったが、中身は手製の代用煙草だった。それには驚かなかったが、バラックの中で白米のカ・・・ 織田作之助 「世相」
・・・あのなかには俺の一切の所持品が――ふとするとその日その日の生活の感情までが内蔵されているかもしれない。ここから声をかければ、その幽霊があの窓をあけて首を差し伸べそうな気さえする。がしかしそれも、脱ぎ棄てた宿屋の褞袍がいつしか自分自身の身体を・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
出典:青空文庫