・・・江戸時代に在っては山東京伝は吉原妓楼の風俗の家毎に差別のあった事を仔細に観察して数種の蒟蒻本を著した。傾城買四十八手傾城※入ル。洋風ノ酒肆ニシテ、時人ノ呼ンデカツフヱート称スルモノ即是ナリ。カツフヱーノ語ハモト仏蘭西ヨリ起ル。邦人妄ニ之ヲ借・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・アンリイ・ド・レニエエは、近世的都市の喧騒から逃れて路易大王が覇業の跡なるヴェルサイユの旧苑にさまよい、『噴水の都』La Cit des Eaux と題する一巻の詩集を著した。その序詩の末段に、Qu'importe! ce n'es・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・ 孔子様は世の風俗の衰うるを患て『春秋』を著し、夷狄だの中華だのと、やかましく人をほめたり、そしりたりせられしなれども、細君の交易はさまで心配にもならざりしや、そしらぬ顔にてこれをとがめず。我々どもの考にはちと不行届のように思わるるなり・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・降参をするしるしなのだ。 オツベルはいよいよやっきとなって、そこらあたりをかけまわる。オツベルの犬も気が立って、火のつくように吠えながら、やしきの中をはせまわる。 間もなく地面はぐらぐらとゆられ、そこらはばしゃばしゃくらくなり、象は・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・ アラムハラドは長い白い着物を着て学者のしるしの垂れ布のついた帽子をかぶり低い椅子に腰掛け右手には長い鞭をもち左手には本を支えながらゆっくりと教えて行くのでした。 そして空気のしめりの丁度いい日またむずかしい諳誦でひどくつかれた次の・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・特務曹長「なるほど西蔵馬のしるしがついて居ります。」大将「これは普仏戦争じゃ、」特務曹長「なるほどナポレオンポナパルドの首のしるしがついて居ります。然し閣下は普仏戦争に御参加になりましたのでありますか。」大将「いいや、六十銭・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・人民、女性の歴史にとって屈辱のしるしのように強いても握らされた白と赤との日本の旗は、今日、日本の婦人自身の手のなかで握り直されなければならない。旗は、よろこびと幸福とへ向って生活の軌道を切りかえる親切と勇気にみちた信号合図の旗として、かざさ・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・ その人の著したもののために、世の多くの人の心が害されたと云う事が起れば、それは、自己完成と云う事が出来る事は出来るが、只其の名を汚す事をのみするものである。 如何なる事に於ても、其を一貫した「実」と云うものがなければ、其は、その形・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・「私の美くしさの下り坂になったしるしだ」 すぐ女は斯う思った。もう今から四五年あとには自分もあたり前の女がする様な事をしなくっちゃあなるまいと思った。 自分で特別に作られた女だと信じて居る御龍はあたり前の女のする事をしなければな・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・なぜならこれまで何百冊かの本を著している科学物語の著者たちは、氷河についてそういう予想を語るとき、いわゆる科学的態度でその予想を告げたっきりで、それを読んだものが、じゃあその時人間はどうなるんだろうと思わずにいられない、当然の疑問には答えず・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
出典:青空文庫