・・・ただやはり顔馴染みの鎮守府司令長官や売店の猫を見た時の通り、「いるな」と考えるばかりである。しかしとにかく顔馴染みに対する親しみだけは抱いていた。だから時たまプラットフォオムにお嬢さんの姿を見ないことがあると、何か失望に似たものを感じた。何・・・ 芥川竜之介 「お時儀」
・・・それはこの時彼等の間へ、軍司令官のN将軍が、何人かの幕僚を従えながら、厳然と歩いて来たからだった。「こら、騒いではいかん。騒ぐではない。」 将軍は陣地を見渡しながら、やや錆のある声を伝えた。「こう云う狭隘な所だから、敬礼も何もせ・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ 一体わたしは、――わたしは、――(突然烈しき歔欷巫女の口を借りたる死霊の物語 ――盗人は妻を手ごめにすると、そこへ腰を下したまま、いろいろ妻を慰め出した。おれは勿論口は利けない。体も杉の根に縛られている。が、おれはその間に・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・に平気を装って、内に入ってその晩は、事なく寝たが、就中胆を冷したというのは、或夏の夜のこと、夫婦が寝ぞべりながら、二人して茶の間で、都新聞の三面小説を読んでいると、その小説の挿絵が、呀という間に、例の死霊が善光寺に詣る絵と変って、その途端、・・・ 小山内薫 「因果」
・・・そして、その相場はたった一人の人間が毎朝決定して、その指令が五つの闇市場へ飛び、その日の相場の統制が保たれるらしい――という話を、私はきいたが、もしそうだとすれば、そのたった一人の人間の統制力というものは、この国の政府の統制力以上であり、む・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・「蓄音機は司令部へ行ったぜ」 と、若い当番兵が答えた。「今、司令部から電話掛って来て、あわてて駈けつけて行きやがった。赤鬼みたいに酔っぱらっとったが、出て行く時は青鬼みたいに青うなっとったぜ。どうやら、日本は降伏するらしい。明日・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・露西亜の旅団司令部か何かに使っていたのを占領したものだ。廊下へはどこからも光線が這入らなかった。薄暗くて湿気があった。地下室のようだ。彼は、そこを、上等兵につれられて、垢に汚れた手すりを伝って階段を登った。一週間ばかりたった後のことだ。二階・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ 衛兵司令は、大隊長が鞭で殴りに来やしないか、そのひどい見幕を見て、こんなことを心配した位いだった。「副官!」 彼は、部屋に這入るといきなり怒鳴った。「副官!」 副官が這入って来ると、彼は、刀もはずさず、椅子に腰を落して・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・「軍司令官はどこまでも戦争をするつもりなんだろうか。」「内地からそれを望んできとるというこったよ。」「いやだな。――わざわざ人を寒いところへよこして殺し合いをさせるなんて!」 木村は、ときどき話をきらして咳をした。痰がのどに・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・が、パルチザンの正体と居所を突きとめることに苦しんでいる司令部員は、密偵の予想通り、この針小棒大な報告を喜んだ。彼等は、パルチザンには、手が三本ついているように、はっきりほかの人間と見分けがつくことを望んでいたのだ。 大隊長は、そのパル・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
出典:青空文庫