・・・その神経は、まるで新興成金そっくりではないか。 またある座談会で太宰君の「斜陽」なんていうのも読んだけど、閉口したな。なんて言っているようだが、「閉口したな」などという卑屈な言葉遣いには、こっちのほうであきれた。 どうもあれには閉口・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・故作家と生前、特に親交あり、いま、その作家を追慕するのあまり、彼の戯れにものした絵集一巻、上梓して内輪の友人親戚間にわけてやるなど、これはまた自ら別である。あかの他人のかれこれ容喙すべき事がらでない。 私は一読者の立場として、たとえばチ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ 博覧会の工事も大分進行しているようである。これもやはりほんの一時的の建築だろうが、使っている材木を見るとなかなか五十年や百年で大きくなったとは思われないような立派なものがある。なんだか少し勿体ないような気がする。こんなものを使わなくて・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・ その時に一つ困った事は、私がたとえばある器物か絵かに特別の興味を感じて、それをもう少し詳しくゆっくり見たいと思っても、案内者はすべての品物に平等な時間を割り当てて進行して行くのだから、うっかりしているとその間にずんずんさきへ行ってしま・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・そこには「信仰」や「愛情」のようなものが入り込んで来るからである。しかしそうなるともう私がここに言っているただの「案内者」ではなくなってそれは「師」となり「友」となる。師や友に導かれて誤って曠野の道に迷っても怨はないはずではあるまいか。・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・舗道をあるくルンペンの靴音によって深更のパリの裏町のさびしさが描かれたり、林間の沼のみぎわに鳴く蛙や虫の声が悲劇のあとのしじまを記載するような例がそれである。 このような音のモンタージュは俳諧には普通である。有名な「古池やかわず飛び込む・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・たりしながらいわゆる正風を振興したのであった。現在のチューインガムも、それが噛み尽されて八万四千の毛孔から滲み出す頃には、また別な新しい日本文化となって栄えるのかもしれないのである。 寺田寅彦 「チューインガム」
・・・一つにはこれらの画家が子規と特別な親交があって、そうしてこの病友を慰めてやりたいという友情が籠っていたであろうし、また一つには当時他に類のなかったオリジナルでフレッシな雑誌の体裁を創成するということに対する純粋な芸術的な興味も多分に加わって・・・ 寺田寅彦 「明治三十二年頃」
・・・その頃の友人の中には George Darwin も居たが、違った方面の友では Arthur Balfour すなわち後の首相バルフォーア卿と親交を結んだ。これが彼の生涯に大きな影響をすることになったのである。 一八六七年の八月に始めて・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・宗教を軽視し、信仰を侮辱することもまた甚しいと言わなければならない。 わたくしは齠齔のころ、その時代の習慣によって、夙く既に『大学』の素読を教えられた。成人の後は儒者の文と詩とを誦することを娯しみとなした。されば日常の道徳も不知不識の間・・・ 永井荷風 「西瓜」
出典:青空文庫