・・・あなたでも同じですけれど、こんなになると、情合はまったく本当の親子と変りませんわ」「それだのにこの夏には、あの人の話はちょっとも出ませんでしたね」「そうでしたかね。おや、そうだったかしら」「そして私の事はもうすっかりあの人に話し・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ 性質はまじめな、たいへん厳格で律儀なものをさえ、どこかに隠し持っていましたが、それでも趣味として、むかしフランスに流行したとかいう粋紳士風、または鬼面毒笑風を信奉している様子らしく、むやみやたらに人を軽蔑し、孤高を装って居りました。長・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・と言いながら、そろそろ梯子を上り始めて、私はその親子の姿を見て、ああ、あれだから、お母さんも佐吉さんを可愛くてたまらないのだ。佐吉さんがどんな我儘なふしだらをしても、お母さんは兄さんと喧嘩してまでも、末弟の佐吉さんを庇うわけだ。私は花火の二・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・手管というのは、たとえばこんな工合いの術のことであって、ひとりの作家の真摯な精進の対象である。私もまた、そのような手管はいやでなく、この赤児の思い出話にひとつ巧みな手管を用いようと企てたのである。 ここらで私は、私の態度をはっきりきめて・・・ 太宰治 「玩具」
・・・ブリキ細工の雀が時計の振子のように左右に動いているのを、小さい鉛の弾で撃つのだ。尻尾に当っても、胴に当っても落ちない。頭の口嘴に近いところを撃たなければ絶対に落ちない。しかし僕は、空気銃の癖を呑み込んでからは、たいてい最初の一発で、これをし・・・ 太宰治 「雀」
・・・Y子 そのささやきには真摯の響きがこもっていた。たった二度だけ。その余は、私を困らせた。「私、なんだか、ばかなことを言っちゃったようね。」「私にだって個性があるわよ。でも、あんなに言われたら黙っているよりほかに仕様が・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ その植木屋も新建ちの一軒家で、売り物のひょろ松やら樫やら黄楊やら八ツ手やらがその周囲にだらしなく植え付けられてあるが、その向こうには千駄谷の街道を持っている新開の屋敷町が参差として連なって、二階のガラス窓には朝日の光がきらきらと輝き渡・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・電車は紳士やら軍人やら商人やら学生やらを多く載せて、そして飛竜のごとく駛り出した。 トンネルを出て、電車の速力がやや緩くなったころから、かれはしきりに首を停車場の待合所の方に注いでいたが、ふと見馴れたリボンの色を見得たとみえて、その顔は・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ つい近ごろある映画の試写会に出席したら、すぐ前の席にやはり十歳ぐらいの男の子を連れた老紳士がいた。その子供がおそらく生まれてはじめて映画というものを見たのではないかと想像されたのは、映画中なんべんとなく「はあー、いろんなことがあるんだ・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・ 果てもない氷海を張りつめた流氷のモザイクの一片に乗っかって親子連れの白熊が不思議そうにこっちをながめている。おそらく生まれて始めて汽船というものに出会って、そうしてその上にうごめく人影を奇妙な鳥類だとでも思ってまじまじとながめているの・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
出典:青空文庫