・・・その時今まで激論をしていた親子が、急に喧嘩を忘れて、互に相援けて門外に逃げるところを小説にかく。すると書いた人は無論読む人もなるほどさもありそうだと思う。すなわちこの小説はある地位にある親子の関係を明かにしたと云う点において、作者及び読者の・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・そこからは、死生を賭する如き真摯なる信念は出て来ないであろう。実在は我々の自己の存在を離れたものではない。然らばといって、たといそれが意識一般といっても主観の綜合統一によって成立すると考えられる世界は、何処までも自己によって考えられた世界、・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・骨肉の情いずれ疎なるはなけれども、特に親子の情は格別である、余はこの度生来未だかつて知らなかった沈痛な経験を得たのである。余はこの心より推して一々君の心を読むことが出来ると思う。君の亡くされたのは君の初子であった、初子は親の愛を専らにするが・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・俺は強かったんだ。だが弱かったんだ。ヘン、どっちだっていいや。兎に角俺は成功しないぜ。鼻の先にブラ下った餌を食わないようじゃな。俺は紳士じゃないじゃないか。紳士だってやるのに俺が遠慮するって法はねえぜ。待て、だが俺は遠慮深いので紳士になれね・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・凡そ男女交際の清濁は其気品の如何に関することにして、例えば支那主義の眼を以て見れば、西洋諸国の貴女紳士が共に談じ共に笑い、同所に浴こそせざれ同席同食、物を授受するに手より手にするのみか、其手を握るを以て礼とするが如き、男女別なし、無礼の野民・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・人あり、頗る西洋の文明を悦び、一切万事改進進歩を気取りながら、其実は支那台の西洋鍍金にして、殊に道徳の一段に至りては常に周公孔子を云々して、子女の教訓に小学又は女大学等の主義を唱え、家法最も厳重にして親子相接するにも賓客の如く、曾て行儀を乱・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 一寸親子の愛情に譬えて見れば、自分の児は他所の児より賢くて行儀が可いと云う心持ちは、濁って垢抜けのしない心持ちである。然るに垢抜けのした精美された心持ちで考えると、自分の児は可愛いには違いないが、欠点も仲々ある、どうしても他所の児の方・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・それは第一に、平生紳士らしい行動をしようと思っていて、近ごろの人が貴夫人に対して、わざとらしいように無作法をするのに、心から憤っていたからである。第二にはジネストの奥さんの手紙が表面には法律上と処世上との顧問を自分に託するようであって、その・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・鮓を圧す石上に詩を題すべく緑子の頭巾眉深きいとほしみ大矢数弓師親子も参りたる時鳥歌よむ遊女聞ゆなる麻刈れと夕日此頃斜なる「たり」「なり」と言わずして「たる」「なる」と言うがごとき、「べし」と言わずして「べく」・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・それが忽ち変って高帽の紳士となった。もっとも帽の上部は見えて居らぬ。首から下も見えぬけれど何だか二重廻しを著て居るように思われた。その顔が三たび変った。今度は八つか九つ位の女の子の顔で眼は全く下向いて居る。額際の髪にはゴムの長い櫛をはめて髪・・・ 正岡子規 「ランプの影」
出典:青空文庫