・・・私は、大地主の子である。転向者の苦悩? なにを言うのだ。あれほどたくみに裏切って、いまさら、ゆるされると思っているのか。裏切者なら、裏切者らしく振舞うがいい。私は唯物史観を信じている。唯物論的弁証法に拠らざれば、どのような些々たる現象をも、・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・実に凡俗の、ただの田舎の大地主というだけのものであった。父は代議士にいちど、それから貴族院にも出たが、べつだん中央の政界に於いて活躍したという話も聞かない。この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い、ただ大きいのである。間数が三十ちか・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・農民は原野に境界の杙を打ち、其処を耕して田畑となした時、地主がふところ手して出て来て、さて嘯いた。「その七割は俺のものだ。」また、商人は倉庫に満す物貨を集め、長老は貴重な古い葡萄酒を漁り、公達は緑したたる森のぐるりに早速縄を張り廻らし、そこ・・・ 太宰治 「心の王者」
・・・私は、ただ、残念であったのである。私は、いやになった。自分の生活の姿を、棍棒で粉砕したく思った。要するに、やり切れなくなってしまったのである。私は、自首して出た。 検事の取調べが一段落して、死にもせず私は再び東京の街を歩いていた。帰ると・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・この人の所へある日遠方の富裕な地主イブラヒム・ベグ・ハジからの手紙をもった使いが来て、「入れ歯を一そろい作ってこの使いの者に渡してくれ」とのことであった。そこで歯医者は返事をかいて、「口中をよく拝見した上でないと入れ歯はできないから御足労な・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・この見はるかす何十町という田圃や畑の地主は、その山荘庵の丘の上の屋敷に住んでいる大野という人であった。 善ニョムさん達は、この「大野さん」を成り上り者と蔭口云うように、この山荘庵の主人はわずか十四五年のうちに、この村中を買占めてしまった・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・ 他の地主たちも、彼に倣って立入禁止を断行した。そして、累卵の危きにあるを辛うじて護る事が出来た。小作人どもは、ワイワイ云ってるだけで、何とも手の下しようがなかった。大抵目ぼしい、小作人組合の主だった、は、残らず町の刑務所へ抛り込まれて・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・内にてもっとも新なるものなれば、今日の有様にて生徒の学芸いまだ上達せしにはあらざれども、その温和柔順の天稟をもって朝夕英国の教師に親炙し、その学芸を伝習し、その言行を聞見し、愚痴固陋の旧習を脱して独立自主の気風に浸潤することあらば、数年の後・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・その生るるや、束縛せらるることなく、天より付与せられたる自主・自由の通義は、売るべからずまた買うべからず、人としてその行いを正しゅうし、他の妨をなすに非ざれば」云々と。 春来、国事多端、ついに干戈を動かすにいたり、帷幄の士は内に焦慮し、・・・ 福沢諭吉 「中元祝酒の記」
・・・ 開国以来、我が日本人は西洋諸国の学を勉め、またこれを聞伝えて、ようやく自主独立の何ものたるを知りたれども、未だこれを実際に施すを得ず、またその実施を目撃したることもなかりしに、十五年前、維新の革命あり。この革命は諸藩士族の手に成りしも・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
出典:青空文庫