・・・両手を拡げるように都会植民地の前に大柱列を並べ、人はそこまで出てしまうと西から来て再び西へ寄せ返す人波と、二つの巨大な磁石巖――株式取引所と銀行とのまわりで揉み合い塵を捲き上げつつ流れる人渦とを見るだけである。 ヨーロッパの買占人、・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・ 此自愧は、引いて制作上の自責に迄及ぼして来た。 宮本百合子 「われらの家」
・・・ 切米取りの殉死者はわりに多人数であったが、中にも津崎五助の事蹟は、きわだって面白いから別に書くことにする。 五助は二人扶持六石の切米取りで、忠利の犬牽きである。いつも鷹狩の供をして野方で忠利の気に入っていた。主君にねだるようにして・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・もし佐橋甚五郎が事に就いて異説を知っている人があるなら、その出典と事蹟の大要とを書いて著者の許に投寄してもらいたい。大正二年三月記。 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・あそこにまた昔話の磁石の山が、舟の釘を吸い寄せるように、探険家の心を始終引き付けている地極の秘密が眠っている。我々は北極の閾の上に立って、地極というものの衝く息を顔に受けている。 この土地では夜も戸を締めない。乞食もいなければ、盗賊もい・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・そのために絶えず自責の苦しみがある。複雑に結びついた感情ほど不安を起こす程度がはなはだしい。 しかしこれらの感情のすべてが一個人に集まるのは、ただ彼に対してのみである。それゆえに彼は何人よりも激しく私を不安ならしめる。私は一人でいて彼の・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・そして磁石のように砂のなかからただ鉄のみを吸い上げる。それはほとんど本能的である。かくして作られたる体験の体系は、一つの新しい生として創造の名に価する。 ただしかし、その体験が浅薄なゆえに偽りを含んでいるとしたら――・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫