・・・母の手は冷たい脂汗に、気味悪くじっとり沾っていた。 母は彼の顔を見ると、頷くような眼を見せたが、すぐにその眼を戸沢へやって、「先生。もういけないんでしょう。手がしびれて来たようですから。」と云った。「いや、そんな事はありません。・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・藁草履はじっとり湿った上、鼻緒も好い加減緩んでいた。「良平! これ! 御飯を食べかけて、――」 母は驚いた声を出した。が、もう良平はその時には、先に立って裏庭を駈け抜けていた。裏庭の外には小路の向うに、木の芽の煙った雑木林があった。・・・ 芥川竜之介 「百合」
・・・坂の方から門内へ流れる秋のつめたい雨水は、傾斜にしたがって犬小舎の底をも洗い、敷き藁をじっとりぬらしている。 ぶちまだらの犬は首から鎖をたらしたまま、自分の小舎の屋根の上へ四つ足で不安な恰好に登って立っていて、その不安さがやりきれぬとい・・・ 宮本百合子 「犬三態」
・・・額には、じっとりと油汗がにじんで居る。 夜着の袖の中からお君の啜泣きの声が、外に荒れる風の音に交って淋しく部屋に満ちた。 昨日、栄蔵の買った紅バラは、お君の枕元の黒い鉢の中で、こごえた様に凋んでしまって居た。 夜になっても栄・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・夜中の雨に じっとりと濡れ膨らんだ細葉を 擡げ 巻き立ち陽を吸う苔を見よ。音が聴えそうだ。又は勁く、叢れ、さっと若葉を拡げた八つ手、旺盛な精力の感、無意識に震える情慾の感じ。電車の音、自動車の疾走戸外は音響に充ち・・・ 宮本百合子 「五月の空」
・・・皮膚がひやっとしていて汗がじっとり出る。今も出ている。八十度一寸出ています。月夜だったが今は霧が漂っている。湿気が多いのですね。『二葉亭全集』をよんだら扉に「ロシア文学は意識的に人生を描いている。それが日本の文学と違う」と書いてあった、鉛筆・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・が『三田文学』に連載されやがて一般の興味をひきつけた時代には、そのエロティシズムも、少女から脱けようとしている特異な江波の生命の溢れた姿態の合間合間が間崎をとらえる心理として描かれており、皮膚にじっとりとしたものを漲らせつつも作者の意識は作・・・ 宮本百合子 「文学と地方性」
出典:青空文庫