・・・こうして夫婦愛が恋愛の健全な推移としてあらわれてくる。それは恋愛の冷却というべきものではなくして、自然の飽和と見るべきものだ。少なくともそれはニイチェのいうような、一層高いものに、転生するための恋愛の没落なのだ。そこには恋愛のような甘く酔わ・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・その静的な一画面から次の画面への推移のリズムによって始めてそこに動的な効果を生じる。しかし映画の場合でもたとえばドブジェンコの「大地」などはほとんど静的な画面のモンタージュが多い。有名な「ポチョムキン」の市街砲撃の場面で、石のライオンが立ち・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・永い旅路と季節の推移を示す短いシーンの系列など、まさに挿画を順々にめくって行く気持である。コローの絵を想い出させるようなフランスの田舎の幻像がスクリーンの上を流れて行く、老人と子供が雪夜の石段を下りて来る図や、密航船の荷倉で人参をかじる図な・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・たとえば同じようなスートケースが少なくも四五度現われて、それが皆それぞれ違った役目をつとめると同時にその物を通して過去をフラッシュバックして運命の推移を意識させる。またたとえば教授の出勤時刻をしらせる時計の音が何度も出て来る。教場の光景も初・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・全体が冗長すぎるばかりでなく、画面の推移の呼吸がちっとも生きていない。 もろ子がかんしゃくを起こして猿を引っぱたくところだけが不思議に生きている。前編でも同じ人が弟の横顔をぴしゃりとたたくところも同様に、ちゃんと生きた魂がはいっている。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ 場面から場面への推移の「うつり」「におい」「ひびき」には、少しもわざとらしさのない、すっきりとして気のきいた妙味がある。これは俳諧の場合と同様、ほとんど説明のできない種類の味である。たとえばアンナが窓から町をへだてた向こう側のジャンの・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・しかし、とにかくこうした映画で日常教育されている日本現代の青年男女の趣味好尚は次第に変遷して行って結局われわれの想像できないような方向に推移するに相違ない。考えてみると映画製作者というものは恐ろしい「魔法の杖」の持ち主である。 ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・夜になると下流の発電所への水の供給が増すせいであろう、池の水位が目に立つほど減って、浅瀬が露出した干潟になる。盆踊りを見ての帰りに池面のやみをすかして見るとこの干潟の上に寂寞とうずくまっていることもあり、何かしら落ち着かぬように首を動かして・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
日々門巷を過る物売の声もおのずから時勢の推移を語っている。 下駄の歯入屋は鞭を携えて鼓を打つ。この響は久しく耳に馴れてしまったので、記憶は早くも模糊として其起源のいつごろであったかを詳にしない。明治四十一年の秋、わたく・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・無論描かれる波の数は無限無数で、その一波一波の長短も高低も千差万別でありましょうが、やはり甲の波が乙の波を呼出し、乙の波がまた丙の波を誘い出して順次に推移しなければならない。一言にして云えば開化の推移はどうしても内発的でなければ嘘だと申上げ・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
出典:青空文庫