・・・終戦になって、何が何やら、ただへとへとに疲れて、誇張した言い方をするなら、ほとんど這うようにして栃木県の生家にたどりつき、それから三箇月間も、父母の膝下でただぼんやり癈人みたいな生活をして、そのうちに東京の、学生時代からの文学の友だちで、柳・・・ 太宰治 「女類」
・・・ 私は昨年罹災して、この津軽の生家に避難して来て、ほとんど毎日、神妙らしく奥の部屋に閉じこもり、時たまこの地方の何々文化会とか、何々同志会とかいうところから講演しに来い、または、座談会に出席せよなどと言われる事があっても、「他にもっと適・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・無抵抗主義の成果、見るべし、である。たいした花も咲くまい、と私は半ば諦めていたのである。ところが、それから十日ほど後、あまり有名でない洋画家の友人が、この三鷹の草舎に遊びにやって来て、或る、意外の事実を知らせてくれたのである。 そのころ・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・のではないかと思われる。 勉強がわるくないのだ。勉強の自負がわるいのだ。 私は、君たちの所謂「勉強」の精華の翻訳を読ませてもらうことによって、実に非常なたのしみを得た。そのことに就いては、いつも私は君たちにアリガトウの気持を抱き続け・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・その事件のおこった時は、勝治二十三歳、節子十九歳の盛夏である。 事件は既に、その三年前から萌芽していた。仙之助氏と勝治の衝突である。仙之助氏は、小柄で、上品な紳士である。若い頃には、かなりの毒舌家だったらしいが、いまは、まるで無口である・・・ 太宰治 「花火」
・・・而して人間の娯楽にはすこしく風流の趣向、または高尚の工夫なくんば、かの下等動物などの、もの食いて喉を鳴らすの図とさも似たる浅ましき風情と相成果申すべく、すなわち各人その好む所に従い、或いは詩歌管絃、或いは囲碁挿花、謡曲舞踏などさまざまの趣向・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・私は、人のちからの佳い成果を見たくて、旅行以来一月間、私の持っている本を、片っぱしから読み直した。法螺でない。どれもこれも、私に十頁とは読ませなかった。私は、生れてはじめて、祈る気持を体験した。「いい読みものが在るように。いい読みものが在る・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・仕事が科学上の事であるだけにその成果は極めて鮮明であり、従ってそれを仕遂げた人の科学者としてのえらさもまたそれだけはっきりしている。 レニンの仕事は科学でないだけに、その人のその仕事の遂行者としてのえらさは必ずしも目前の成果のみで計量す・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・南国の盛夏の真昼間の土蔵の二階の窓をしめ切って、満身の汗を浴びながら石油ランプに顔を近寄せて、一生懸命に朦朧たる映像を鮮明にかつ大きくすることに苦心した当時の心持ちはきのうのことのように記憶に新たである。青と赤のインキで塗った下手な鳥の絵の・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ しかし、米の飯だけでは生きては行かれぬように、学校の正課を正直に勉強するだけで十分であったとは思われない。やはり色々の御馳走も食う必要があったと思われる。自分の学生時代にどんな御馳走があったか。思い出すままに順序もなくその二、三を書い・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
出典:青空文庫